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「燃土燃水献上図(小堀鞆音画)」とは

「燃土燃水献上図(小堀鞆音画)」とは

「天智天皇にアスファルトと石油を献上した」と「日本書紀」に記された事の意味

小堀鞆音
燃土燃水献上図 小堀鞆音(ともと)文久4(1864)年2月19日~昭和6(1931)年10月1日

防水の歴史は、世界では4000年だが、日本に目を向けると、最古の文献として残っているのは西暦668年の以下の記録。

「日本書紀」《天智天皇七年(六六八)七月》◆高麗従越之路遣使進調。風浪高。故不得帰。以栗前王拝筑紫率。于時近江国講武。又多置牧而放馬。又越国献燃土与燃水。又於浜台之下諸魚覆水而至。又饗蝦夷。又命舍人等、為宴於所々。時人曰。天皇天命将及乎。

日本書紀である。

毎年7月7日、天智天皇を祀る滋賀県大近江神宮で「燃水祭」が行われる。防水の歴史を語る時、必ず引き合いに出される「天智天皇に燃える土と燃える水を献上した」という故事に則り行われる祭典である。燃える土とは天然アスファルト。燃える水とは石油である。

日本書紀の天智7年(668年)に、越の国(今の新潟県)から燃える土(瀝青)と燃える水(原油)が献上された、と記載されている。

明治歴史画家小堀鞆音(ともと)は、日本石油から同社創立30周年事業の一環として依頼され、これをモチーフとした画を残している。ただし実際は、その3年前、大正3年東京大正博覧会に間に合うよう完成させたようだ。

石油業界は日本書紀の記述を自らの業界の起源とし、日本石油は創立30周年記念にこの画を小堀鞆音画伯に依頼し、大協石油(現コスモ石油)はやはり創立30周年記念として前田青邨に同じテーマの画を依頼した(紹介すみ)。

「燃土燃水献上図」は古代から接着、防水などに使用されていた燃土=瀝青=天然アスファルトを出発点とする日本の防水業界にとっても、業界の起源と考えられる。しかし燃水=石油は、塗膜・シート防水材の原材料であることから、むしろ「燃える水」を防水の起源として良いのでは…と考える防水関係者もいる。

いずれにしても「燃える土・燃える水献上」と言う日本書紀の記載が、防水業界にとって、貴重な初見であることに間違いない。

そしてそれを描いた画家が、有職故実に基づく正確な歴史考証による歴史画を得意とした帝室技芸員にして日本の歴史画の父・小堀鞆音であったことは極めて幸運であったと言える。

小堀鞆音(こぼりともと)については、後日紹介。

2011/05/10(火) 00:13:04|ARCHIVES|

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