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燃える土と燃える水が初めて揃った燃水祭

燃える土と燃える水が初めて揃った燃水祭

平成24年近江神宮燃水祭(ROOF-NET編)

斉行日時:平成24年7月5日(木)11時~12時
場所:滋賀県大津市近江神宮本殿

平成24年7月5日、石油と防水の祖神天智天皇を祀る滋賀県大津市の近江神宮で平成24年近江宮燃水祭が斎行された。燃水祭とは、日本書紀の「越の国より燃える土(アスファルト)と燃える水(石油)を献上す」という記載を基に60年前から近江神宮が斉衡している歴史ある祭事である。これに石油業界が初めて参列したのが昭和53年。翌年からは「石油業界(燃える水)の起源にかかわる」重要な祭事として、石油元売り各社と近畿地区の石油商業組合が斎行に協力してきた。そして35年後の今年「燃える土」の関係者として防水業界から多数の参列があった。近江神宮や石油業界の方々から「「燃える土」と「燃える水」が初めて揃った燃水祭」と歓迎された。

今年の燃水祭の模様を3回に分けて掲載する。第1回目は近江神宮の公式記録と、越の国黒川燃水祭での燃える水採油と献上行列の様子。

本殿から参道をのぞむ
平成24年7月5日早朝。本殿から参道をのぞむ。

燃える土と燃える水が初めて揃った燃水祭 ①

日本最初の石油の記録は、1340年をさかのぼる、天智天皇の御代のことでした。正月3日、新都大津宮において、御即位の式典を厳修せられた天智天皇7年(668年)の7月のことでした。

「越の国 燃ゆる土 燃ゆる水をたてまつる」

日本書紀はこう書き記しています。燃ゆる土『燃土』とは天然アスファルトのこととされ、燃ゆる水『燃水』とは石油のことです。『越の国』は、現在の新潟県。なかでも現在の胎内市(旧黒川村)であったといわれます。黒川村は、昔、川の流れが黒くなるほど燃水が湧き出したことから、「黒川」の地名がついたと伝えられています。

その7月、越の国より採掘された燃水と燃土が天智天皇の都に献上されたのでした。科学技術を駆使され国づくりを推進された改新政治を象徴する記事といえます。

毎年7月1日(24年は1日が日曜日のため2日)、新潟県胎内市黒川において燃水祭が行われ、その折採油された原油が、6日後の7日(7日が土日の場合は5日)、近江大津宮旧跡に鎮座する近江神宮燃水祭において、黒川からの使者により燃水献上の儀が、往時のままに厳修されています。さながら日本書紀の記述を再現するがごとくに。

地球温暖化問題がクローズアップされるなか、化石燃料のマイナス面が強調されることが多くなってきましたが、東日本大震災にともなう原子力発電所の事故以来脱原発への志向が高まり、さりとてただちに自然エネルギー中心に転換するのは現実的ではありません。現代文明を前提とする以上、当面は石油を中心とする化石燃料に頼らざるを得ません。むしろ従来にもまして重要となってきます。

全国石油・エネルギー業界・関連業界関係者多数のご参列の中、石油業界の代表者の手により、ランプに灯をともして献灯の儀を行い、現代文明の基盤である石油への感謝の誠を捧げます。

また本年ははじめて「燃ゆる土」(天然アスファルト)の関係者として、防水事業を行う大津市の株式会社メイコウの杉本社長様に日本書紀奉唱をご奉仕いただきました。新潟県胎内市黒川からの燃水奉献者は臭水(くそうず)遺跡保存会会長の布川様(黒川村元村長)にお越しいただきました。ルーフネット・森田様の尽力による燃土・燃水にかかわる各種資料の展示も会場を賑わわせました。

(近江神宮公式ホームページより)

黒川燃水祭

献上のために採油
大津京の朝帝に献上するため採油。天智天皇の時代と同じようにカグマで採油し、桶に絞り出す。

2012年7月1日新潟県胎内市「黒川燃水祭」で撮影。(写真提供:日本防水の歴史研究会)。カグマはシダの一種、今でも一部の黒川の人達は庭先に植えているそうだ。詳細は↓参照。
http://www.roof-net.jp/index.php?%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80%E3%81%A8%E7%80%9D%E9%9D%92%E3%80%8D

黒川燃える土と燃える水
近江宮目指して献上行列。

前の甕(かめ)の中が「燃える水(石油)」、後ろの葛籠(つづら)の中は「燃える土(アスファルト)」。(写真提供:日本防水の歴史研究会)

黒川街中行列
行列を見守る地元黒川の人たち。(撮影:森田喜晴)

この行列の形や装束の参考になったのが、明治の歴史画の父(帝室技芸員)・小堀鞆音が大正3年に日本石油㈱の依頼で画いた「燃土燃水献上図」。

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「燃土燃水献上図」。(JX日鉱日石エネルギー㈱所蔵)

この画は昨年2011年10月1日、小堀鞆音(こぼりともと)生誕の地である栃木県佐野市の佐野市立吉澤記念美術館で展示された。これは本邦初の一般公開で、田島ルーフィング㈱田島国雄社長、新バ―レックス工営㈱丸山功会長、ジェイエック㈱真瀬氏ほか防水と屋根のウェブサイトである「ルーフネット」、日本防水の歴史研究会など防水関係者の尽力とJX日鉱日石エネルギー㈱の協力により実現したもの。

http://www.roof-net.jp/index.php?%E7%87%83%E5%9C%9F%E7%87%83%E6%B0%B4%E7%8C%AE%E4%B8%8A%E5%9B%B3%E3%82%92%E6%8E%A2%E3%81%AD%E3%81%A6参照。

2012/09/11(火) 00:00:50|「日本書紀と瀝青」2012|

燃える土と燃える水が初めて揃った燃水祭 ②

平成24年7月2日、新潟県胎内市黒川において燃水祭が行われ、その折採油された原油が、3日後の7月5日、黒川からの使者により近江大津宮旧跡に鎮座する近江神宮に献上された。「越の国より燃える土(アスファルト)と燃える水(石油)を献る」という日本書紀の記述を再現する形で執り行われるのが、近江神宮「燃水祭」である。(注:今年平成24年は1日が日曜日のため2日に、また(7日が土日に当たったため5日に行われた)

写真1.2012.7.5 11:00 近江神宮燃水祭斎行
2012.7.5 11:00 近江神宮燃水祭斎行

y写真2. 2012年 近江神宮燃水祭式次第
2012年 近江神宮燃水祭式次第
(画像をクリックすると拡大します)

世話人には近畿地区の石油商業組合を代表して滋賀県の芝野桂太理事長と日本防水の歴史研究会事務局長の名が見える。また日本書紀奉唱は「燃土関係」として㈱メイコウ・杉本憲央社長の名が記されている。今年の燃水奉献者は新潟県胎内市黒川村の元村長で、臭水(くそうず)遺跡保存会の布川陽一会長。

写真3. 2012年近江神宮念水祭 祭典のご案内
2012年近江神宮念水祭 祭典のご案内
(画像をクリックすると拡大します)

燃水祭の案内は「燃水祭世話人」芝野桂太郎、北嶋一郎、浪田昌治の三氏連名で出される。

昨年より案内状の中での「燃える土」の説明は

「燃える土」とは今でいう天然アスファルトのことであります。

となっている。

それまでは、「燃える土」とはアスファルト、石炭、泥炭などと毎回バラバラであった。一昨年、「日本防水の歴史研究会」がこれまで行った調査結果と資料によって近江神宮にご説明し、燃える土がアスファルトであることを納得していただいた。これ以後近江神宮での、すべての表記は「燃える土とはアスファルトである」と統一された。

写真4 世話人による燭台点灯
世話人による燭台点灯

燃水祭は世話人2名による燭台点灯で始まる。例年、3人の世話人のうち芝野桂太郎、北嶋一郎両氏が大役を務めている。この日は、北嶋氏が参列できない事情があったため、急遽「燃える水」の関係者として、「日本防水の歴史研究会事務局長」にその任が委ねられた。「燃える水関係者の初めての本格参加」に対する芝野氏の御配慮である。

写真5.
新潟県胎内市黒川村の元村長で、臭水(くそうず)遺跡保存会の布川陽一会長による燃水奉献。

写真6. 黒川の燃水
黒川の燃水

写真7. 各県石油商業組合代表による献灯。
各県石油商業組合代表による献灯。

「燃える水」は現在ランプで象徴されている。将来「燃える土」も献上されるとしたらそれは何で表されるのだろうか。

写真8 参列者によるロウソク献灯。
参列者によるロウソク献灯。

写真9 日本書紀奉唱。
日本書紀奉唱。

本年は、はじめて「燃ゆる土」(天然アスファルト)の関係者として、大津市の防水工事店㈱メイコウの杉本社長が日本書紀奉唱を奉仕した

奉唱された日本書紀
奉唱された日本書紀のよみ。

「やまとぶみ まきの ついで ふたそまり ななまき あめみこと ひらかずわけの すめらみこと ななとせ あき ふみづき こしのくに もゆるつち と もゆるみず とを たてまつる」

2012/09/16(日) 00:00:50|「日本書紀と瀝青」2012|

燃える土と燃える水が初めて揃った燃水祭 ③

平成24年近江神宮燃水祭(ROOF-NET編)

舞楽奉納、玉串拝礼、展示会、直会

画像の説明

近江神宮燃水祭は半世紀以上の歴史があるが、石油業界が初めて参列したのは昭和53年である。翌年からは自らの業界の起源にかかわる祭事として徐々に「燃水祭」と深くかかわり、神宮と石油業界が協力して、祭事を盛立ててきた。その過程で、装束や、点火方法や、日本書紀の奉唱、舞楽の奉納など少しづつ現在の姿に整ってきた。

「燃水祭」の拠り所は日本書紀であり、そこには「燃える土と燃える水を献上」と記されている。今年初めて「燃える土の関係者」として、防水業界が「燃える水の業界」の方々から温かく迎えられた。今後、燃える土関係者としてどう協力してゆくか、2013年の燃水祭に向けて検討してゆかねばならない。

女人舞楽原笙会による舞楽奉納
女人舞楽原笙会による舞楽奉納

今年の曲は天人の舞を象って平安初期から中期にかけて作られたという「登天楽とうてんらく」。黄色の蛮絵装束が、小雨で一層深みをました神宮の緑に映える

組合理事長の玉串拝礼

各県石油商業組合理事長の玉串拝礼(手前は世話人の一人、大阪石油商業組合浪田昌治理事長)。

防水業界代表

「燃える土関係」として防水業界代表も玉串拝礼。

宮司挨拶
宮司挨拶

世話人挨拶
近江神宮燃水祭世話人挨拶

世話人を代表して滋賀県石油組合芝野桂太郎理事長が直会(なおらい)で次のように挨拶。

「燃える水」と「燃える土」がようやく揃いました。本日、燃える土を起源とする防水業界から15名の方が参列いただきました。この合体によりまして、燃水祭がますます盛大になるよう祈念いたします。

直会会場
直会(なおらい)会場

「燃える土」関係者として今年は防水業界から約20名参列、うち15名が直会(なおらい)にも参加した。

燃水祭と石油商業組合との関わりは40年を超える。その経緯は近江神宮が発行していた広報誌「志賀」やルーフネット「日本書紀と瀝青」などを参照下さい。

>>近江神宮「志賀」が語る「燃水祭」を読む
>>「日本書紀にみる防水の起源」を読む

燃土燃水献上関係資料展
燃土燃水献上関係資料展

画像の説明

画像の説明

ルーフネットと日本防水の歴史研究会による「燃土燃水献上」に関する資料が近江神宮勧学館で展示された。展示されたのは、画、写真、日石発行の5冊の社史、「燃える土」、その他文献資料など50点。

展示品の一例。(絵や日本書紀などの展示物はもちろん本物ではありません。原寸複写)

1.小堀鞆音「燃土燃水献上図」。
2.東京芸大が所蔵する々下絵。
3.日本書紀の該当部分。
4.々 絵を精密に再現したジオラマ。
5.田谷力三のデビュー作でもあるオペレッタ「燃える水」。
6.々絵を精密模写した帝室技芸員・塚田秀鏡の最晩年の彫金作品「燃土燃水献上図花容器」。
7.絵の制作を依頼した日本石油の5冊の社史。大正6年の30年史は、本そのものが作品として、展示された。
8.「燃える土」現在でもアスファルトの地層が露頭している秋田で採集したもの。
9.日本石油が創立70周年記念として5000枚を製作し関係者に配布したという「燃土燃水献上図」の西陣織作品。
10.同じく90周年品として少量配布された、「燃土燃水献上図」彫金煙草入れ。
11.大協石油が前田青邨に依頼した「燃土燃水献上図」。
12.小堀鞆音の画をもとに小学生が作った連作版画集「燃える水」。
その他。

>>近江神宮燃水祭でルーフネットの「防水の歴史ミニ展示」を読む

記:日本防水の歴史研究会事務局長・森田喜晴(ウェブマガジン「ルーフネット」主宰)
写真はいずれも日本防水の歴史研究会提供

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