「お初」の上七軒だより
「お初」の上七軒だより
原爆ドーム・歴史的建造物の保存技術を今に生かす「改修技術研究会」
「改修技術研究会」 と 「お初」さん
昭和55年(1980年)に発足した改修技術研究会という、建物改修工事のエキスパート集団があります。
清水建設の設計部に属し(当時)、コンクリートのひび割れ補修の専門家で、広島原爆ドームの保存工事に最初から深くかかわった森光作氏を中心とする勉強会です。
改修技術研究会は、昭和55年(1980年)10月18日、最新技術の習得と相互協力の精神に基づく情報交換と交流を目的に、接着工事研究会として発足しました。平成11年(1999年)に改修技術研究会と名称変更、これまで200回以上の定期的な勉強会を実施してきました。調査・診断から設計・施工まで改修工事のエキスパート集団である「改修技術研究会」は材料・工法・技術の研究を日夜続けています。
この研究会の設立時から世話役として実質上の活動をリードして来たのが、年初に亡くなった(株)テクノポール・穴澤邦重氏。毎月の勉強会の会場は 原則東京でしたが、全国にまたがる地方会社会員の属する地域の建造物の保存工事を見学、研修することもよくありました。穴沢氏の学生時代からの友人が昔から贔屓にしていたのが京都上七軒のお初さんでした。毎年、年末の会は設立当初から京都で研究会兼忘年会を行いましたから、お初さんとはほぼ30年の付き合いということになります。
お初さんの飾らない気さくな性格、面倒見の良い性格に惹かれて、メンバーは夫々の会社、また、個人的にもお付き合いがありました。
「お初」さんのこと
お初さんこと 田中都子さんは、串かつとおばんさいの「お初」の店主。
京都花街の一つ、上七軒に生まれ育ち、かつては上七軒の芸妓でした。
お初さんの趣味は花木。すすき、ほととぎす、さぎそう、わびすけなど、控えめな花を愛しました。そんな花を自分の店に飾っているのを見たまわりのお店から「ぜひ、うちの店にも生けて」と声がかかりました。そんな様子を、婦人雑誌が掲載しました。
研究会のメンバーは年一回の会合で、お初さんの普通では聴けない京都の話を聞くことを楽しみにしていました。
ルーフネット編集長はこの会の事務局を20年つとめ、お初さんはいわば、改修技術研究会の名誉会員という位置づけでした。
ルーフネットでは「京都のくらし」の奥深い部分を知るお初さんの目を通して、ビジネスに役立つ京都の知恵を発信してゆきます。
2010/08/05(木) 09:15:30|ニュース|
8月1日は上七軒の盆踊り
「お初」の上七軒便り 2
花街の八朔。でも上七軒はちょっと違う
花街の八月一日と言えば、八朔。普通なら舞妓さんや芸妓さんは、日頃お世話になってる、師匠やお茶屋さんに挨拶回りをする特別な日です。本来なら旧暦の八月一日で、昔は「田の実の節」と言いました。「実り」に感謝する日だったのですが、花街では「田の実」から「頼み」に変わりました。「よろしゅう お頼のもうしますう~」
祇園の八朔とにわかカメラマン
しかし上七軒はちょっと様子がちがう。
挨拶周りを済ませた後は、盆踊りなのです。
おねえさん、おかあさんたちは、上七軒界隈を練り歩きメイン会場へ。
本当に上七軒が一つのまとまった感じがして良かったです。
小さいけど家庭的で温かい、どこよりも結束の固い上七軒を誇りにおもいます。(左千夫)
このシリーズは「お初」左千夫さんのブログと、ルーフネットのコラボ企画です。
左千夫さんのブログはこちら⇒ http://ameblo.jp/sachioohathu/
2010/08/08(日) 09:00:00|MUSICフォーラム|
夏 おさらい会が続きます。
「お初」の上七軒便り 3
京の花街総出の笛の会
8月8日、宮川町歌舞練場で、藤舎七生さん主催の笛の会がありました。
朝10時から夜8時まで。祇園、祇園東、先斗町、宮川町、上七軒。京都の花街(かがい)の芸妓、舞妓総出演。70曲が演奏されました。
花街(※注)の方ばかりで、なんとも言えない雰囲気です。冷房も良く効いていて、笛の音色が心地よく何回も寝そうになりました。さと幸さんの「四季の山姥」。(左千夫)
佐志郎さんの浴衣会
今回は今藤佐志郎さんの会。22日の日曜日、場所はギオンコーナーです。だいたい10時頃から開演予定だそうです。上七軒からは勝也ちゃん、勝江ちゃん、尚そめちゃん、勝瑠ちゃん(※注)が出演。(左千夫)
編集長注:
花街は「はなまち」ではなく「かがい」と読みます。
「ちゃん」がつくのは舞妓です。
- このシリーズは「お初」左千夫さんのブログと、ルーフネットのコラボ企画です。
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2010/08/23(月) 12:51:23|MUSICフォーラム|
舞妓さんがデビューしました。
「お初」の上七軒だより 4
左千夫さんから「お知らせ」が来ました。
26日、「梅乃さん」から舞妓さんが出やはりました。「梅さや」ちゃんです。見世出しの挨拶まわりの時に1枚撮らせてもらいました。暑いけど、今日から黒紋付。大変やと思うけど、がんばって。(左千夫)
上七軒のお茶屋は現在七軒に減った。「梅乃」はそのうちの1軒。上七軒全体で舞妓の数は9人。デビューした舞妓は、お茶屋を始め、お世話になるお店に「見世出し」の挨拶にまわる。御めでたいことだから、黒紋付を着る。
- このシリーズは「お初」左千夫さんのブログと、ルーフネットのコラボ企画です。
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文化の伝承、しきたりから学ぶ知恵、町並み保存、ビジネスモデルの再発見(もうハーバードはええんやないの?)。これらのキーワードが「ルーフネット」の中に花街情報「お初の上七軒だより」が存在する理由です。
井上えりこ准教授は、花街が抱える問題は町家の問題と似ているという。
京都女子大学・建築計画学の井上えりこ准教授は「花街(かがい)のこれから」に関して、こう語っている。
町家は京都の景観に寄与しているが、維持管理は所有者個人に委ねられている。所有者が「しんどいし、もうやめや」と投げ出せばおしまい、すぐ取り壊される。そんな不安定な状況下で偶然残っているだけなのだ。そのくらい日本の伝統文化は危うい。京都へ行けば、当たり前のように享受できると思われている風景は、いつなくなってもおかしくない。
また建物の外観だけ残して、レストランなどへの用途変更もあるが、伝統文化の継承という点では疑問。伝統文化から空間だけを切り離して、はたして文化を継承していると言えるのか。文化はだれが継承すべきなのか。特定のだれかだけで負担できるのか。
花街では、お茶屋や歌舞練場・稽古施設・組合事務所といった建築物が、外観だけでなく内部空間やその使われ方まで、全体的に伝統を継承してきた。今後はこれらを維持するための負担を花街関係者だけに背負わすことは難しいであろう。このような稀有な存在を今後どうすべきなのか?
以下記者のついでの一言:
人の少ない沢に入るとリフレッシュする。行ったことは無いけれど、アフリカのジャングルや、アジアの熱帯雨林、南の島のきれいな海でリフレッシュしてみたい。京都の花街もいいがアンコールワットも見てみたい。
ところでリフレッシュするほうはいいが、勝手にされる町や山はたまらない。これは一種の搾取ではないか。何もしなければなくなってしまうものが誰かのおかげで維持されている。搾取する側、快を享受する側は、応分の対価を提供するべきではないか。町並み・景観・自然の空気に感動した時、「飲み食いの金を払う」だけで応分の対価と言えるのか。
2010/08/29(日) 11:05:05|MUSICフォーラム|
南禅寺菊水さんで浴衣会。私(左千夫)も3曲
「お初」の上七軒だより 5
稀音家三穂一一門のゆかた会
朝から稀音家三穂一一門のゆかた会が南禅寺の菊水さんでありました。
私の出し物は、小鍛冶、都鳥、時宗の3曲。上七軒でお店を出させてもろてる以上、三味線くらい弾けんといかん、とおもって、4年前から始めました。毎週1回お稽古に通ってます。なんとか自分の出番が済み、「あー全然弾けない」常日頃、さぼっているから仕方ない。
今度は府立文化芸術会館へ。
うちのお店に来て頂く藤本流の喜代珠先生の会を拝見させていただきました。
ちゃっきり節や五島さのさなどを聞かして頂きました。かわいい子供の生徒さんが沢山おられるんですが、びっくりするほど三味線が上手。完敗、「俺がんばろう」。そんな事を考えてまたまた菊水さんへ 戻って乾杯。
南禅寺菊水さんのお料理です。
それから、今日は上七軒歌舞練場ビアガーデンの千秋楽へ。早速勝喜代さんに挨拶。
- RN編集長注:勝喜代さんは20年来、上七軒の芸妓組合会長を務めている。かつ現役の芸妓。上七軒の生き字引。
その勝喜代姉さん、なんと9時やのにあまり酔っぱらってない。
それもそのはず、みんなから「姉さん、今日は酔ったらあきまへん」の嵐。小きみさんのお母さんや、知ってるお客様が沢山お見えになって、姉さんも楽しそう。良かったです。
ビアガーデン、沢山ご来店頂き有難うございました。
- RN編集長注:上七軒の年中行事として、古いものは1952年から始まった北野をどり、梅花祭、寿会。 花街での夏のビアガーデンは1957年伏見の宝酒造によるタカラビール発売をきっかけに始まった。上七軒は63年開始。祇園甲部、先斗町でも開催していたが、現在は上七軒のみ。舞妓がゆかた姿でビールをついでくれ、各テーブルを回ってお話しに来てくれる。場所はお初から徒歩3分、歌舞練場の庭。蚊取り線香と団扇が欠かせない。
今年は雨も少なかったし、大盛況。
また来年もよろしくお願いします。(お初・左千夫)
※※※※※
上七軒の有職菓子御用達所「老松」主人大田進さん、京都市交響楽団ゼネラルマネジャー平竹耕三さんらが、昨年発刊した「京の花街(かがい)~ひと・わざ・まち」の中で、吉岡久美子さんは、勝喜代さんを取材して、こう紹介している。
《勝喜代さんは上七軒を代表する三味線、踊りの名手、お座敷芸にも通暁する芸達者として、他の花街にも名がとどろく。また水上勉の小説「上七軒」に勝千代として登場するなど、多くの文人との交流を持つ名妓です。》
またインタビューの最後に勝喜代ねえさんはこう言ったそうだ。
「上七軒の文化を守って伝えていくためには、お客さんにも踊りを習ってもろて、お茶屋さんでしか、できひん遊びをもっと楽しんでほしい。 京都ならではお茶屋さんの雰囲気を味わってもらうことが、花街を継いでいくには大事どす」。
そう。遊ばせてもらうだけではつまらない。もっと遊びたければ努力しなくちゃ。
2010/09/18(土) 14:44:24|MUSICフォーラム|
舞妓さんの うちわプレゼント! だそうです。
「お初」の上七軒だより 6
上七軒「お初」左千夫さんからのお知らせです
夏が終わり、飾っていた芸舞妓さんのうちわも外すことになりました。
せっかくですので、ブログを見て頂いてるかたにプレゼントしたいと思っております。
数は15枚とさせていただきます。
下記の私のブログ
http://ameblo.jp/sachioohathu/
の「メールはこちら」に住所、氏名、年齢をお書き添えの上送ってください。
どの芸舞妓さんのうちわかは選べませんのでご了承ください。
送料はうちのお店で負担させていただきます。
応募が多い場合は抽選とさせていただきます。
ご記入頂いた個人情報は厳重に管理いたします。
2010/10/01(金) 12:08:14|MUSICフォーラム|
舞妓、芸妓が総出で「ずいき神輿」の行列を迎える
「お初」の上七軒だより 7
上七軒「お初」の左千夫さんから、ずいき祭りの、いい写真です。
10月1日から5日間、北野天満宮のお祭りがありました。
特に4日は巡行を終えた神様が天神さんにお帰りになる日。行列が上七軒通を通ります。
お茶屋さんの前も晴れやかな芸舞妓さんがならびます。
ずいき祭り
五穀豊穣を感謝する北野天満宮の秋の例大祭。平安時代後期から記録に残る古い祭礼。4日の還幸祭(かんこうさい)には、天満宮の神輿や、西の京七保神人(ななほじにん)がずいき(芋の茎)などの野菜で作ったずいき神輿が上七軒通を通って天満宮東門に入る。
上七軒の茶屋には祭りの提灯や幕が張られ、芸妓舞妓が総出でこの行列を出迎える。数十年前までは、茶屋も格子を取り外し中から眺めていたが、その風情はなくなった。
(上七軒お初の向かいの有職菓子御進所・老松主人大田達氏ら、による「京の花街」より)
ずいき神輿の屋根は「ずいき葺き」
※※※※※
朝の雨も嘘の様に晴れ、お祭りも大賑わい。みなさまおつかれさまでした。
http://ameblo.jp/sachioohathu/(左千夫)
2010/10/23(土) 01:07:53|屋根|