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資料第四号「マサル社史」

資料第四号「マサル社史」

わが国シーリング工事の歴史がここに

マサル社史
四十年のあゆみと 50年の記録(1)

マサル社史40、50

数多ある建築専門業種の中で、「ある特定の企業の歴史がそのまま、その業種の歴史である」と言えることは、まず無い。ところがことシーリング工事に関しては「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言っても、反対の声は出てこないだろう。

昭和30年、住宅の大量供給を目的に日本住宅公団が設立され、現場打ちコンクリートの2階建て、4階建ての集合住宅が急ピッチで建設された。さらに供給を加速するためプレキャスト鉄筋コンクリート住宅が試作された。雨仕舞には外壁の目地には油性コーキング、屋根の板材の隙間にはゴムアスファルトが使用された。油性コーキングは昭和20年代後半にアメリカから「バルカテックス」が輸入されており、各社国産化の努力を続けていた。昭和30年にまず昭和化工が国産化に成功し、後発メーカーが続いた。この時代の波に乗ったのがマサルの創立者苅谷勝氏である。

1956年、苅谷勝氏が個人企業として防水工事(シーリング防水)業を開始し、よく1957年、資本金50万円でマサル工業㈱を設立した。「ものづくり」への挑戦を続け同社は、超高層ビル建築に欠かせない存在になって久しい。
同社は平成8年に40年史、2006年に50年史を作成した。これらの社史は、一企業の歴史にとどまらない。マサルの苦労と失敗と努力と、研究が我が国ンシーリング工事の歴史となっている。 

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執行役員で技術部長の野口さんに話を聞きながら、この2冊の社史を数回にわたって紹介する。第1回目は、40周年史の目次。

マサル四十年の歩み(1)

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目次1

目次2

目次3

目次4

目次5

目次6

目次7

目次8

2016/03/18(金) 11:22:12|ARCHIVES|

わが国シーリング工事の歴史がここに 2

資料第四号
マサル「四十年の歩み」と「50年の記録」

ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四号として、「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる㈱マサルの40年史を取り上げている。2回目の今回は昭和32年頃の記録である「第1章創業期」のあらましを紹介する。

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マサル四十年の歩み(2)

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第1章の目次

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昭和30年、日本はまだ戦後復興途上であった。住宅の大量供給を目的に日本住宅公団が設立された。2階建てPC住宅が試作され、外壁目地に油性コーキングが、屋根防水にはゴムアスが使用された。

油性コーキングはすでに昭和20年代後半に米国製の「バルカテックス」が輸入されていた。最初に国産化に成功したのは昭和化工(エバーシール)で、後発メーカーが続き、油性コーキング全盛の時代が訪れる。マサルはまさに高度経済成長と新しい技術が次々現われる時代に旗揚げした。

「マサル設立前夜」の章では創業者苅谷勝氏の独立、いとこの苅谷廣見氏とのかかわり、中外商工での技術習得の様子が書かれている。

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苅谷廣見氏の写真、昭和化工の下請け時代、昭和32年資本金50万円、29歳の苅谷勝社長の出発。創業時の経営基盤となった公団住宅の補修工事、モルタル防水からアスファルト防水への屋根防水の転換、創業時の経営状況など。

当時の50万円の価値も書かれている。昭和化工の油性コーキング一缶の卸値が8,900円で、マサルの大卒初任給とほぼ同じ。昭和32年度の公務員の初任給が9,200円。銀行の大卒では12,000円。国鉄初乗り10円だった。

創業時の社員。昭和29年操上弘昌氏の入社、㈱マサルの最大の特徴である、職方の協力体制。そして会社設立直後の苅谷勝氏の緊急入院による危機と、社長代行を務めた山本三郎氏の奮闘などが記録されている。

(続く)

2016/05/01(日) 00:30:19|ARCHIVES|

わが国シーリング工事の歴史がここに 3

資料第四号 マサル「四十年の歩み」と「50年の記録」より
昭和30年代のこと

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ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四号として、「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる㈱マサルの40年史を取り上げている。3回目の今回は「第2章躍進期」昭和30年代の記録のあらましを紹介する。

マサル四十年の歩み(3)

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昭和30年代の高度成長の原動力は技術革新であり、素材革命が進んだ。大型H鋼の生産が昭和34年に始まり39年には高さ制限が撤廃され高層ビル時代が開かれた。建築工法の変化により油性コーキング材から弾性シーリング材の時代に移行してゆく。マサルも右肩上がりに成長したが、重要なのは新材料や新工法に対する施工技術をパイオニアとして確立したことだろう。

15第2章1節

15第2章2節のはじめ

油性コーキング材の我が国への本格導入は昭和27年。エービーシー商会が米国から「バルカテックス」を輸入した。ついで国産化が成功し「エバーシール」、「ファインコーク」が市場に現れる。

バルカテックスの初使用は 横浜市の神奈川県立図書館・音楽堂、東京渋谷の東急文化会館であった。

第2章3節①

昭和34年人形町への本社移転。昭和化工が製造する油性コーキング材「エバーシール」の施工請負業としてスタートしたマサルが、昭和化工㈱から独立することになった。

15第2章3節はじめ2

昭和39年に導入された社員持ち株制は大きな効果を挙げ、平成6年株式公開を果たした。

(つづく)

2016/05/08(日) 16:28:15|ARCHIVES|

わが国シーリング工事の歴史がここに 4

資料第四号
マサル「四十年の歩み」と「50年の記録」より
昭和40年代(発展期)のこと

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ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四号として、㈱マサルの40年史を取り上げている。「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる。4回目の今回は「第3章躍進期」昭和40年代の記録のあらましを紹介する。

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昭和40年代、日本はいざなぎ景気を謳歌し、世界第二位の経済大国となった。しかし46年のニクソンショック、昭和48年のオイルショックが襲い掛かる。一方、建築分野では10年以上前から胎動していた超高層建築技術が昭和43年、霞が関ビルの完成をもって花開く。弾性シーリング材時代の幕開けであり、マサル大発展の時期だ。

マサル四十年の歩み(4)

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ウェザーバンの国産化、第一生命ビル、日本板硝子ビル…、マサルの技術力がいかんなく発揮された。

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この記念誌の価値は、周辺状況が脚注で細かく、記載されていることだ。
建築の高さ制限の状況が脚注で解説されている。ここで31メートルを超える建築が可能になった。

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霞が関ビルの概要

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超高層建築を陰で支えたシーリング工事。それをまた支えていたのが攪拌機メーカのミキスタ向井敬氏である。

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サンピエトロ寺院をしのぐ規模・難工事。

2016/05/26(木) 12:55:47|ARCHIVES|

わが国シーリング工事の歴史がここに 5

資料第四号
マサル「四十年の歩み」と「50年の記録」より
昭和50年代(業務拡大期)のこと

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ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四号として、㈱マサルの40年史を取り上げている。「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる。5回目の今回は「第4章業務拡大期」昭和50年代の記録のあらましを紹介する。

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4章目次2

マサル四十年の歩み(5)

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昭和50年代の幕開け、第1次石油ショック以来の不況が深刻化する中、54年には第2次石油ショックが発生。55年には円高で景気はさらに下降し、以後3年間、冬の時代が続く。

技術面では昭和53年に等圧工法(オープンジョイント工法)で新宿センタービルが、翌年には虎の門三井ビルが建設された。材料・工法の研究は一層進む。

201節 概況

概況2

シーリング材の発展によって、雨仕舞にはシーリング材を充填しさえすればよい、というシーリング万能信仰が広まり、設計者は構造上の雨仕舞設計を忘れ、漏水事故が多発した。そこで、建築業界は雨仕舞の原点に立ち帰り、シーリングに頼らない雨仕舞として等圧工法の研究を始めた。しかしこの工法の採用が広がれば、シーリング材の使用量は激減するため、業界に激震が走った。

202節等圧工法

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2成分形シリコーンの登場と汚染トラブル。変成シリコーンの登場。接着耐久性にかかわる継続的実験。これらの問題を解決する一方、昭和51年には東日本シーリング工事業協同組合が設立され、55年には「シーリング防水工事の施工指針」発行、技能検定制度の発足など、施工体制確立への試みが実を結んでゆく。

204節

昭和50年代に入ると、30年代に施工した建物の改修需要が続出。昭和54年、リニューアル事業を専門とする㈱マサルエンジニアリングが設立される。

(続く)

2016/06/08(水) 00:13:09|ARCHIVES|

わが国シーリング工事の歴史がここに 6

マサル「四十年の歩み」と「50年の記録」より
昭和60年代(多角化への道)のこと

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ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四号として、㈱マサルの40年史を取り上げている。「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる。6回目の今回は「第5章 多角化への道」昭和60年代の記録のあらましを紹介する。

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マサル四十年の歩み(6)

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昭和60年(1985)秋のプラザ合意を機に円の対ドル相場が急騰、バブルの始まりである。そして平成4年になると平成不況、7年には阪神淡路大震災が不況に追い打ちをかける。一方で、築20年を経過した高層ビルやマンションを対象とする巨大なリニューアル市場が見えてきた。

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Ⅱ. 新技術を駆使して多角化へ邁進
2節では、リニュアル工事、床工事、内外装取り付け工事、防水工事など新規事業への取り組み、また様々な工法や道具の開発に関して、また、注目すべき多くの工事について、貴重な記録が残されている。

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Ⅲ. 企業への経営の転換
3節は経営面での、様々な取り組み、社員の待遇改善への取り組みの記録である。
昭和62年、創立30周年を機に、創業者である苅谷勝に代わって操上弘昌氏が社長に就任した。業績は順調で、平成6年度のシーリング業界におけるマサルの占有率は37%、首都圏における100メートル以上の超高層建造物に限れば、シェアは79%に達した。

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創始者である苅谷勝(当時会長)が平成5年、建築工業化構法における接合部防水技術の確立に果たした功績により「日本建築学会文化賞」を受賞した。防水業界初の快挙である。

(続く)

                                 

2016/06/22(水) 20:07:45|ARCHIVES|

わが国シーリング工事の歴史がここに 7

マサル「四十年の歩み」と「50年の記録」より
資料編

資料編最終 表紙

ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四号として、「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる㈱マサルの40年史を取り上げている。7回目の今回は「第6章資料編」40周年史の最終章となる。

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資料編には①マサルの組織図、②マサルの資本金の推移、③マサルの売上高の推移許一覧、⑦マサルの一覧、⑧マサルの主な取引銀行一覧、⑨マサルの主な工事経歴一覧、⑩年表、となっている。

ここでは年表のみ紹介する。

マサル四十年の歩み(7)

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20年表

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2016/07/05(火) 12:22:17|ARCHIVES|

わが国シーリング工事の歴史がここに 8

マサル「四十年の歩み」と「50年の記録」より
資料編②

マサル40周年表

ルーフネットのアーカイブ・防水の歴史資料館の資料第四号として、「マサルの歴史が我が国シーリング工事の歴史である」と言われる㈱マサルの40年史を取り上げている。8回目の今回は40周年史の最終章となる「第6章資料編」から工事経歴を紹介する。

平成8年に発行された40周年史では、シーリング工事として、昭和32年の大手町ビルから、平成8年の大崎駅東口西工区業務棟までが記されている。

マサル四十年の歩み(8)

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20工事履歴 138

20工事履歴139

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20koujirireki 143 最後

2016/07/28(木) 00:38:32|ARCHIVES|

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