「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

日本初のRC橋と琵琶湖疏水

日本初のRC橋と琵琶湖疏水

日本初の鉄筋コンクリート橋 ~明治36年(1903年)7月試造~

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明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して、明治18年(1885年)琵琶湖疏水の建設が始まり、明治23年(1890年)第一疏水が完成しました。

奥に見える第3トンネル入り口約50メートル手前に、「日本初の鉄筋コンクリート橋」と言われている幅1メートル強の小さな橋がかかっています。これが第11号橋。明治36年(1903)年のことです。

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現在は転落防止のため、柵が設けられ、橋自体が見にくくなっています。 また水路も舗装されてしまいました。

かつて橋の東側には日ノ岡船溜(ひのおかふなだまり)が広がり、疏水を行き交う船が泊っていました。現在は埋め立てられて、新山科浄水場取水池として利用されています。

鉄筋の代わりにレールを使用

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鉄筋コンクリートとは言っても、この橋の鉄筋は専用の材料がなかったため、疏水工事で使ったトロッコのレールが代用されています。鉄筋コンクリートの技術はのちに第2疏水などの土木工事に生かされました。

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  • 橋の裏面。

琵琶湖疏水第3トンネル入り口と107年前の橋

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各トンネルの出入り口には明治の元勲(げんくん)が文字を書いた扁額(へんがく)が掲げられている。

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幅1メート強。107年前の鉄筋コンクリート橋。左下に「南禅寺まで40分」の手書き道標。

107年前に作られたRC橋の路面。

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完成当時、もちろんこの柵はない。

この地を訪れたのは、2月19日に行われた、ピングラウト協議会記念講演会での話がきっかけ。首都大学東京都市基盤環境工学の宇治公隆教授が、「コンクリートの不思議を紐解く」のテーマで講演した。

その中で、国内外のコンクリートの歴史として海外では1873年フランスMonierのRCアーチ橋(15.6M,幅4.2M)、国内では1903年琵琶湖疏水運河第3トンネル東口のメラン式弧形桁橋(7.3M)が最初の鉄筋コンクリート橋である、と説明した。

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  • 建設当時の第11号橋(琵琶湖疏水記念館パンフより)

日本最古のRC橋への疑問と発見

「もう1本ありまっせ!」と言う琵琶湖疏水記念館職員の声で「第10号橋」を再調査

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京都市山科区御陵(みささぎ)にある第10号橋・通称「黒岩橋(写真上2点)」こそ「日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋なのである」(琵琶湖疏水の100年)

日本最初の鉄筋コンクリート橋は、琵琶湖第一疏水、山科区日ノ岡にある第3トンネル東の第11号橋で、これは「国指定史跡」であり、多くの学術文献にも記載されている。本サイトでも3月18日に紹介している。

日本初のRC橋は橋長7.2メートル、幅員1.5メートル。風情はあるが、「このしょぼい橋が日本初か!!107年間どんなメンテをしたのだろう?長期間の維持管理を考えれば、床版の防水は今や常識になっているが…」と橋の上に立って考えた。今回の取材に先だって、京都市水道局疏水事務所に、メンテナンスの記録を尋ねてみた。疏水の歴史に詳しい担当者が、「記録にある範囲ではない。詳細は蹴上の琵琶湖疏水記念館に資料があるから」と教えてくれた。8月8日、疏水記念館で加藤館長、藤木さんから両手で抱えても重い「琵琶湖疏水の100年」、その他の資料を見せていただいた。

答えは3分冊になった重い資料の「叙述編」にあった。
要約すると、第11号橋は「国産セメントの試験用というべきもので実用性は乏しかった。ここからさらに東へ行った、翌明治37年に作られた黒岩橋こそ日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋なのである」と書かれている。この認識があるので、第11号橋は完成当初、話題にもならず、忘れ去られていたのだろう。それが昭和7年に「本邦最初鉄筋混凝土橋」の石碑が建てられたのは、疏水決壊事故がきっかけだった。

「本邦最初鉄筋混凝土橋」碑はこうして立てられた。

「そう云うたら、あれはな 日本で最初の鉄筋コンクリートの橋やったんや」という指導者田辺朔郎の言葉で完成29年後に「本邦最初―――」の石碑を建てた。

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今でこそ、第11号橋は「明治36年7月に作られた鉄筋コンクリート橋」として建設関係者の一部では知られているが、完成当時は話題にもならず、ほとんど忘れ去られた存在だった。
それが約30年もたった後、急に話題になったのは、昭和5年に発生した天智天皇稜裏疏水決壊事故がきっかけだった。翌6年には大改修工事が行われ、琵琶湖疏水建設を指導し、京都大学教授となっていた田辺朔郎も立ち会った。
 平成2年京都市水道局が発行した大著「琵琶湖疏水の100年」(叙述編)によると、
〈大改修工事に立ち会った田辺朔郎が、疏水事務所の職員にこの橋の由来を話したことから、市が昭和7年「本邦最初鉄筋混凝土橋」の石碑を建てて記念するに至った〉とある。
 注:ルーフネット、今年3月18日記事参照。

11号橋当初

建設当初の11号橋
(疏水100年資より。田辺朔郎写真も)

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昭和7年に建てられた「本邦初鉄筋混凝土橋」の碑。
現在は別の場所に移動。

ただし、明治10年(1877年)に江戸で生まれ、工部大学校(現東京工業大学)を卒業した田辺が、京都弁で見出しのような言葉を使ったとは思えない。

私費で慰霊碑

そんな想像をしてしまうのは、田辺の人間的魅力に有る。大学を卒業と同時に世紀の大工事の責任者に抜擢され、圧倒的な存在感を示しながら難工事を推進してゆく。世界が注目する中、御雇い外国人の手を借りず、日本人だけで、手作業で進められた工事。工事中に殉職した工夫の為に田辺は自費で慰霊碑を建てた。(写真)。そして多くの弟子たちを育て、彼らがのちの日本の建設工事を担ってゆく。


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昭和5年に発生した天智天皇陵裏疏水決壊事故の大改修工事で、現場を訪れた田辺の話を限りない尊敬と敬愛の念をもって、一言も聞き逃すまいとする工事最前線の疏水事務所職員。

厳しいノルマと目標を自分に課し(写真・疏水記念館展示品図録より)、琵琶湖疏水を卒論のテーマに選んだ田辺が、実験途中で右手に大けがをして、左手で書き上げたという論文(写真・同)などをみると、上のような勝手なシーンを想い浮かべてしまうのです。

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現場から事務所に戻った田辺が、湯呑茶碗のお茶をのみながら、職員たちの苦労をねぎらった後、こんな話をしたのではないか…という想像です。

ところで、決壊したのは天智天皇陵裏、これらの橋が有るこのあたりの地名は御陵(みささぎ)。御陵とは天皇の墓。もちろん天智天皇です。つくづく防水と縁の深い天皇ですね。

RCはし碑

現在の11号橋。落下防止柵の為に橋裏面も鉄骨で補強、当時の面影は全くない。日本初の石碑も新設されている。>>参照

RCはしアップ

鉄筋コンクリートはフランスで開発されたものだが、歴史的には金網で補強するモニール式と、鉄棒(鉄筋)で補強するメラン式があり、メラン式が主流になってゆく。

田辺朔郎は、明治23年、疏水工事完成後、東京大学教授となり、翌年からメラン式鉄筋コンクリートとの研究を開始。鉄とコンクリートの伸縮率が同じであることを確かめた。

さらに「琵琶湖疏水の100年叙述編」562ページに、

疎水100年

〈この橋を造るにあたってはまだ専用の鉄筋はなかったので疏水工事で使ったトロッコのレールを代用した。ところがこの橋自体は国産セメントの試験用というべきもので実用性は乏しかった。ここからさらに東へ行った、翌明治37年に作られた黒岩橋こそ日本最初の本格的な鉄筋コンクリート橋なのである〉

と記されている。

なるほど「鉄筋が無いさかいに、鉄の端くれを入れた。と聞いてます」という発言と相応する。

さてその「日本最初の本格的鉄筋コンクリート橋」の右岸側橋第部に「技師・山田忠三,技手・河野一茂」左岸側には「明治37年請負人・大西裁巳之助」と刻られている。残念なことにちょうどその部分に両側とも幅1センチほどのひび割れが有り、シーリング材で補修されている。
これがどんな経緯でなされたのかは、疏水記念館でも、疏水事務所でもわからない。担当は京都市建築局橋梁係りだという。これは取材するしか有るまい。(つづく)

秘密の宿題:①日本初は別にあるという説の検証

2010/08/17(火) 10:23:27| 躯体保護と混凝土|

琵琶湖疏水南禅寺境内を貫く「水路閣」のひび割れ

第2回検討会は早くて年末にずれ込み

水路閣ひび
京都新聞が2008年7月29日報じた記事より。
水路閣橋台で見つかったひび割れ。

水路閣支え

2008年7月、国の史跡で南禅寺(京都市左京区)の敷地にある 琵琶湖疏水の一部・水路閣の橋台で、老朽化などが原因とみられる亀裂が見つかり倒壊の危険があるとして京都市上下水道局は防護工事を行った。(写真)
京都市疏水事務所によると、この亀裂は全長約93メートルある水路閣の西側最上流部の橋台(橋脚)で、長さ約4メートルに達する。割れた時期は不明。 春以降、亀裂周辺でレンガがはがれ落ちるようになったため、緊急に防護工事が必要と判断した。

工事は2008年7月31日から8月8日まで。橋台に鋼材を組み立て倒壊を防いだもの。現在もそのままの状態である。

水路閣は、1888(明治21)年の完成。観光名所として知られるが、亀裂の見つかった場所は普段人の往来がほとんどない。市上下水道局は「今後の調査や補修で立ち入り禁止とするかどうか、南禅寺と相談して決めたい」としている。当初08年度中に構造を調査し、次年度から本格的な補修工事をする予定となっていた。

これを受けて、平成22年京都工芸繊維大学石田潤一郎教授を委員長とする水路閣改修調査検討委員会
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000078/78845/1shiryo.pdf
が設置され、1月22日京都市国際交流会館において、第1回検討委員会が開催された。
この議事録は先ごろウェブ上で公表された。
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000078/78845/1kaigiroku.pdf
議事録によると、この8月中に第2回の検討委員会が開催される予定だったが、まったく開催の気配なし。関係筋によると、調査、対策を巡って文化庁とのすり合わせが難航し、第2回検討委員会の開催は早くとも年末になりそうである。

2010/08/25(水) 09:00:05|ニュース|

日本初本格的RC橋の両橋台に大きなひび割れ。

橋台両側裏表に約1.5センチ幅のシーリング。

(写真入る)

(写真入る)

見つけた10号橋。通称黒岩橋。水道局には第2トンネル側の「山の谷橋」というと話が早い。

まず気がつくのが橋の両側裏表にきっちり入ったひび割れ。1センチ以上2センチ以下のかなり太い幅で、シーリングされている。5年以上たっているとは思えない。大事な明治37年の数字も消えてしまった。

なぜ亀裂が入ったか?いつ?この対策を決めたのは誰?工事は誰が?シーリング材料は何系?下地処理は?注入は?工事はいつ?
という当然の疑問が湧いてきて、まず疏水事務所に聞いた。

すると、この橋は疏水事務所でなく、建設局橋梁かかりが担当であると丁寧に教えてくれた。そこで電話すると、担当が不在なので、後日連絡させるといわれた。

翌日建設局調整管理から「5年間分の資料を調べたが、記録がないから、大きな工事とは認識されていない」、と連絡があった。さらに東部土木事務所なら分かるかも知れないと、電話番号を教えてくれた。すぐに電話すると、台帳を見てくれて、やはり記録がないという。そこで少し食い下がってみた。

自分はコンクリート補修工事の関係者である。この橋が日本で最も古い本格的な鉄筋コンクリート橋だ、というので東京から、見に来た。写真を撮ったら太いひび割れで、大事な明治37年の文字も見えない。写真を見せながら、仲間に報告することになるが、こんな写真を見せたら、まず一番に「このひび割れは何?原因は?いつから?補修工事の内容は?」と質問されるにきまっている。「さ~。解らないそうです。と答えて納得すると思います??」と言ってみた。

親切な担当者は「古い人や、昔この係で、今別の課に行っている人にも聞いてみましょう」と言ってくれた。そして2日後電話をくれた。「やはり知らないそうです」。
「そうですか、ありがとうございました。でも大した橋ではないとは言え、史跡になっている様な構造物の、付け根の全部にひびが入っていて、補修されている。でもそれがいつ、誰が、どんな判断のもとに、どんな方法で補修したか、全くわからない、記録がないというもの、不思議なものですねえ」。

※※※※※

「端っこに ぎょうさんおるのがブルーギルや。真ん中の深いとこはアユやで!」

この項目もとりあえず一段落。
この後も、南禅寺の境内を横切った水路閣に激怒した福沢諭吉、疏水の逆サイホンとシール、疏水に点在する歴史的建造物の保存の話などを、引き続き紹介し、他のルーフネットブックレット同様、バージョンアップしてゆきます。

2010/09/03(金) 11:52:34|躯体保護と混凝土|

数珠を持った南禅寺サポーター

琵琶湖疏水余話2
お参りする時は、おせんこ(お線香)の煙で(身を)清めてからやで~
と一人一人に声をかける。 

南禅寺親父

南禅寺の三門(知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに、京都三大門の一つ)をくぐり、その壮大さに圧倒され口をだらしなく開けたまま、一直線に法堂に吸い寄せられてゆく。と、突然うしろから声がかかる。

1. ちょっとちょっとあんた!お参りする前に、ちゃんと煙で身を清めてから拝まんとあかん。そうや。いやいや、別にお線香代は出さんでも、エエのや。それがきまりなんや。

2. 真ん中がお釈迦さん=釈迦如来。象の上に乗ったはるのが普賢菩薩、獅子に乗ったはるのが文殊菩薩。典型的な釈迦三尊ですわ。天井に龍がいますやろ。立派ですやろ。なき龍ていいます。この下の音は天井にうまいこと集まって、よう響いて龍がないたみたいやから、なき龍て言います。

「パン!」。龍の声とは言えないが確かに良く響く。

同志社のねき(近く)の相国寺にも立派なのが有りますけど、ここのはよろしで~

3. あっちへいくと永観堂から哲学の道。銀閣寺に出ますわ。 こっちが水路閣。すぐ先でっせ。

参拝者(観光客)10人中8人は煙で清めず、本尊の前に直行する。お行儀のいい2人には、話は工程2から始まる。

南禅寺 天井竜

南禅寺法堂の雨漏り。
現在の法堂は明治42年に再建されたもので、内部には中央に釈迦如来像、文殊菩薩、普賢菩薩の三体がまつられ、一面の敷瓦に巨大な欅の大円柱が林立し、荘厳そのものです。天井には今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡竜が画かれています。 明治42年の創建以来80余年を経て、雨もりがするようになり、平成2年、開山大明国師700年大遠忌記念行事として、屋根茸替え工事及び敷瓦取り替え工事を行い、平成2年落慶法要が営まれました。(南禅寺HPより)

南禅寺法堂(はっとう)の天井画。今尾景年作。

そうか。このおっさんも、歴史的建造物(水路閣も含めて)を守っとるんやなあ。 
「からだ大事にしてや。又くるわ」

2010/09/10(金) 11:00:18|歴史的建物を守る|

水路閣のひび割れ対策、いまだ方針固まらず。

南禅寺水路閣のひび割れ対策、いまだ方針固まらず。第2回委員会は年明け。年度内には開催。

水路閣立ち入り禁止

緊急対策工事は2008年7月31日から8月8日まで行われ、橋台に鋼材を組み立て倒壊を防いだもの。現在もそのままの状態である。

本日記8月25日の記事で報告した水路閣のひび割れ対策は、年内の方針決定も難しい見通しようですね。

水路閣の基礎部分は、東京丸の内の丸ビルがそうであったように、一かかえもあるような松杭がもちいられている。水路閣の下は京都市の土地、水路閣は勿論京都市の財産。阪神大震災でもびくともしなかった水路閣の、ひび割れが一昨年に見つかったのは、観光客の報告が切っ掛け。原因は近くの樹木の根、地盤沈下などが考えられるものの、詳細は基礎部分を掘って調べるしかない。松杭の調査も必要なのだが、掘り出すことによる劣化促進を心配する文化庁との意見の調整が進まず、究明作業が滞っているようだ。

京都市上下水道局が所有する疏水路にある水路閣は老朽化しており、橋脚のアーチレンガ部分の一部に亀裂が生じているのを受け、平成20年の夏に緊急防護工事を実施し、被害が拡大することを応急的に防いでいるところ。水路閣は琵琶湖疏水の疏水分線の一部で、全長93メートル、幅4メートル、高さ5~8メートル。レンガと花崗岩で築かれた水路橋であり、国の史跡に指定されており、近代京都の歴史的な文化財としても、象徴的な存在。琵琶湖疏水は、明治23年に竣工し、現在では約147万市民の上水道の水源や水力発電のほか、多目的に利用されている。京都におけるライフラインにおける基幹施設である。

水路閣観光客

水路閣は、1888(明治21)年の完成。観光名所として知られるが、亀裂の見つかった場所は普段は人の往来がほとんどない上の写真の右端部分。京都市上下水道局は「今後の調査や補修で立ち入り禁止とするかどうか、南禅寺と相談して決めたい」としており、現在は一部立ち入り禁止状態。当初2008年度中に構造を調査し、次年度から本格的な補修工事をする予定となっていた。

これを受けて、平成22年京都工芸繊維大学石田潤一郎教授を委員長とする水路閣改修調査検討委員会
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000078/78845/1shiryo.pdf
が設置され、1月22日京都市国際交流会館において、第1回検討委員会が開催され、この議事録はウェブ上で公表されている。
http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/cmsfiles/contents/0000078/78845/1kaigiroku.pdf

2010/11/24(水) 09:00:02|歴史的建物を守る|

なぜ水路閣はかくも挑戦的に南禅寺境内を横切るか

疏水余話4

計画段階から、建設当時の京都府と宮内庁、南禅寺、三井寺間のつばぜり合いがあったという。

水路閣
問題の水路閣のひび割れはこの写真の右側。

いくらなんでもよその家の玄関のまん前に橋を作るか? しかもそれが天下の南禅寺。今でこそ南禅寺にとって水路閣は重要な見どころであるが、建設計画を聴かされた時、激怒したのは当然だろう。

当初計画では水路は山の中を通るはずであった。トンネル工事も特段難工事でもなく、計画は順調に進んでいた。ところが着工直前、計画部分に亀山天皇の分骨場がある事が判明し、宮内庁からストップがかかった。そこで、急遽浮上したのが現在のコース。当時建設場所は今より谷が深かったという。その谷を少し埋め戻し、更にローマの水道よろしく橋をかけ水路としたわけだ。

関係者の話によると、三井寺、南禅寺と京都市(当初は京都府)との争いは裁判に持ち込まれ、三井寺とは8年前にやっと話し合いが成立したそうだ。
さらに、南禅寺側に立った福沢諭吉は「南禅寺は京都にとって重要な観光資源。その境内に水道橋を通すとは正気の沙汰では無い。 末代の恥。さらに京都の伝統産業にとって疏水がどれほどの役に立つか」と反対したという。

諭吉の言葉とは思えませんねえ。激怒する南禅寺に「それじゃ亀山天皇の分骨場に穴をあけろと言うのかい」と迫る京都府。世紀の大工事計画の中でさまざまな思惑が入り乱れ、虚虚実実の駆け引きが有ったようですね。

後ろからは、写真を撮りながら「京都府は宗教界を抑え込むために、わざと南禅寺を怒らす為に、現在のコースを選んだ。そしていかに反対しようと、近代化の為に事業を推し進めるという、行政側の力を示したんだ」と同行者に解説する学者風の老紳士の声も聞こえました。
ところで観光客の興味は、有名な三門や法堂よりもテレビや映画でで有名な水路閣の方が上回っているようです。

2010/12/05(日) 09:21:10|歴史的建物を守る|

水路閣改修調査委員長 石田潤一郎さん について

疏水余話5

水路閣

1952年、鹿児島市生まれ。京都大大学院修了。専門は近代建築史。2001年から京都工芸繊維大教授。南禅寺水路閣の改修調査検討委員長や、舞鶴市の赤れんが倉庫群の保存活用検討委員も務める。著書に「関西の近代建築」「都道府県庁舎」。

水路閣足場
応急対策された水路閣

 
いしだ・じゅんいちろう
読売新聞2010年3月10日 に紹介されている。
京都工芸繊維大教授、石田潤一郎さん(57)は大学生だった頃、京都市内に残る建築家、武田五一(1872~1938)設計の建物を調べたそうだ。1970年代、近代建築についての研究は少なかった。取材の結果、京大時計台(左京区)、府立図書館(同)、関電京都支店(下京区)、京都市役所(中京区)……。83年までに37軒を確認した。京都観世会館隣りの藤井有鄰館もその一つ。
「権威的な重々しさがなく、前衛的なデザインを取り入れながらも、親しみやすい」のが武田五一の作品。その代表例が、左京区岡崎の琵琶湖疏水沿いに立つ藤井有鄰館なのだという。(注:有鄰館の鄰の字はヘンとツクリが逆になっている)

ゆうりんかん

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藤井有鄰館 滋賀県出身の実業家藤井善助(1873~1941)が設立。中国の殷代~清代の青銅器や仏像彫刻などを展示。85年、京都市登録有形文化財。 開館は毎月第1、3日曜日の正午~午後3時半(1、8月は閉館)。設計した武田五一は、広島県福山市生まれ。東京帝大に進み、図案学研究のため渡欧、装飾 芸術アール・ヌーボーなど最先端のデザインを学んだ。帰国後は、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大)などの創設に尽力した。 1926年(大正15年)、中国の美術工芸品の展示、保存を目的に建てられた鉄筋コンクリート3階建て。近代の私立美術館の建物としては最古とされる。入り口は、龍が浮き彫りされたアーチ型。3階のバルコニーは、日本建築で使われる「肘木」が支える。館内の天井などには優美なステンドグラスが使われている。

同記事によると…

斬新なデザインだが、美術館や図書館が立ち並ぶ閑静な一帯になじんでいる。「和、洋、中を自由自在に混ぜ合わせているものの、全体的にあっさりとしている。穏やかな新しさが、古都の雰囲気を損ねずに、モダンな京都を演出した」と語る。

武田は明治後期から昭和初期にかけて、さまざまな建物の設計をしたほか、ステンドグラスや家具のデザイン、本の装丁なども手がけた。建物や作品には随所に柔らかな曲線の装飾が施されており、近年、ファンが増えている。

「今で言う『かわいい』魅力がある。高層ビルや巨大なマンションなど、すきのない建物に囲まれていると、温かみのあるデザインを懐かしく感じるのでは」と、人気の理由を分析する。

文化財になっていなかった近代建築も多く、83年までの調査と比べ、武田の設計した建物は少なくとも14軒が姿を消したという。跡地には、マンションなどが建った。「おおらかな設計になっており、現代生活に合わない部分は、一部修理すれば活用が可能なはず」と、取り壊しを残念がる。

「建築は、時代の美意識を反映する存在。寺社や町家、近代建築が並ぶ万華鏡のような都市空間が、京都の魅力となっている」と話している。

2010/12/26(日) 09:42:09|歴史的建物を守る|

参考記事 : 琵琶湖疎水 水路閣漏氷?

>>琵琶湖疎水 水路閣漏氷?のページはこちらから


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