「施工と管理」 銅屋根クロニクル -6-
「施工と管理」 銅屋根クロニクル -6-
今月の「銅屋根クロニクル」は、横浜市開港記念会館
(一社)日本金属屋根協会機関誌「施工と管理」の二月号での正倉院を皮切りに、全国の歴史的建造物の銅板屋根や樋の材料と施工技術を「銅屋根クロニクル」として紹介してきました。「施工と管理9月号」今回の銅屋根クロニクルは6回目。煉瓦とスレートと銅板が美しい横浜市開港記念館です。
記事は協会機関誌への掲載のあと順次、同協会のホームページに「銅屋根クロニクル」してアップされることになっています。http://www.kinzoku-yane.or.jp/
写真も大きく見やすいので絵是非ご覧ください。但し、諸般の事情で、まだ1回目の奈良・正倉院「瓦を下した正倉院正倉」のみです。
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銅屋根クロニクル 6 横浜市開港記念会館(神奈川)
「施工と管理」2013年9月号より
横浜市開港記念会館は、横浜開港50周年を記念して、横浜市民からの寄付により建設された。大正6(1917)年6月30日に竣工し、翌7 月1日に「開港記念横浜会館」として開館した。同記念館は、横浜市の公会堂であり、翌大正7年に竣工した大阪中之島公会堂とともに大正期二大公会堂建築 といわれる。
設計は、コンペ当選した東京市の技師福田重義の案をもとに、山田七五郎を中心にして行われた。赤煉瓦に花崗岩をとりまぜた、辰野様式の赤レンガ建築である。
平成の復元工事で屋根・ドームが復活
現在の姿からは想像しがたいが、平成の復元工事まで、この建物は現在の屋根もドームもない陸屋根だった。もしこの銅屋根がなかったら、今ほどの観光名所になっただろうか。
大正12(1923)年の関東大震災によって、時計塔と壁体だけを残し、内部は焼失した。
昭和2(1927)年に震災復旧工事が竣工したが、屋根ドーム群は復元されなかった。
昭和60(1985)年に、創建時の設計図が発見されたのを契機に「ドーム復元調査委員会(委員長:村松貞次郎東京大学名誉教授)」の提 言を受け、昭和63年度にドームの復元工事に着手し、平成元年6月16日に、大正時代そのままの姿に復元された。
スレートと銅板による屋根だが、銅は鋳物や装飾用パネルが多用されている。施工に際しては、スレート、銅鋳物との取り合い、薄銅板の納まり、雨水が集中する場所などには捨て銅板を敷きこんでいる。下地とのなじみを考慮して0.3ミリの磨銅板が使用された。
ひときわ目立つ高さ約36mの時計塔(鉄骨煉瓦造)は大正期の煉瓦作り構造技術の水準を示すとともに、石材装飾のディテールにはセセッションスタイルの反映がみられるという。塔は現在「ジャックの塔」と呼ばれる。
ジャックの塔と四方を睨む大砲? 射撃管制用レーダーを照射したターゲットは黒船か。
ジャックの塔のガーゴイルは黒船に向けた大砲?
キ ングが県庁本館の塔(昭和3年約49m)、クイーンが横浜税関の塔(昭和 9年約51m)、ジャックが(大正6年約36m)。トランプカードの絵札からとも、チェスの形からとも、諸説ある。
換算600ミリの望遠レンズでズームアップすると、ますます大砲に見えるが、実はこれは樋(とい)の落とし口。「ガーゴイル」だ。
ガーゴイルとは西洋建築の屋根の上に置かれ、雨樋を通ってきた水の排出口としての機能を持ち、西洋では動物を模ったものが多い。歴史はギリシャや古代エジプト時代にまで遡る。日本の鬼瓦につながる魔除けの要素も併せ持つ。
調査報告書によると、屋根工事に使用された薄銅板葺総面積は1,542㎡、使用薄銅板面積は2,993㎡、588人工による作業だったそうだ。
鋳物やパネルの使用が多く、厳つい表現であるため、がっちりした樋が全体の意匠の中でも違和感なく納まっている。
球体・円錐形の尖塔頂部は2ミリの銅板ヘラ絞り。
銅屋根クロニクルバックナンバー
- 銅屋根クロニクルNo.1 「施工と管理 2013.2 [瓦を下ろした正倉院正倉(奈良)」
- 銅屋根クロニクルNo.2 「施工と管理 2013.4 「大阪城天守閣(大阪)」
- 銅屋根クロニクルNo.3 「施工と管理 2013.5 「築地本願寺(東京)」
- 銅屋根クロニクルNo.4 「施工と管理 2013.6 「中之島公会堂(大阪)」
- 銅屋根クロニクルNo.5 「施工と管理 2013.7.8「日本聖ハリストス正教会教団復活大聖堂(東京)」
- 銅屋根クロニクルNo.6 「施工と管理 2013.9 「横浜市開港記念会館」
2013/10/04(金) 00:00:16|屋根|