「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

ケンブリッジの当たり前の次元

選択15 あるコスモポリタンの憂国

ルーフネットの選択です

選択表紙

精華大学招聘教授 紺野 大介

ケンブリッジの当たり前の次元

 「日本のメーカーに未来はあるか」という主題で英国ケンブリッジ大学から招待講演を依頼されたのは一九九六年晩秋のことである。長期間のわたるバブルがはじけた影響で当時の経済指標を示す諸数値が最悪の状態。いわば日本経済全体が打ちひしがれていた最中であった。

 メーカーで重厚長大から軽薄短小までモノ作りを経験してきた。しかしそうした体験を踏まえ、日本のモノ作りを分析しても、かえって抽象的な知見しかえられず説得力に乏しい。それよりも宇宙船地球号日本丸的な「地球規模から考えた日本の未来」という視点が必須であり、この方面の知見が備わっているかどうか自問自答したものである。何故なら当時、大阪ガス・エネルギー・文化研究所の倉光弘己氏が中心になり纏めた一大調査報告書『ジオ・カタストロフィ(地球規模の人類の破滅)』(CEL. Vol 18 Nov. 一九九一年版)、および米国マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院のシステム・ダイナミックス・グループにより纏められたプロジェクト「成長の限界」の改定版『限界を超えて』(一九九二年版)の二冊。この和洋両書によって、人類生存の可能性希薄化についての重い衝撃をもたらしていた時期だったので。地球の限界という形で、人間の生存の限界を実証する深刻な客観的データや推論の信憑性に関する圧倒的な迫力を両書は持っていた。後者では特に為政者達が旧態依然とした「経済成長何%のお題目」を公約に掲げ、それを御用学者達が体裁を繕っている空しさ、稚拙さについても言及している。この両書は、突き詰めていえば(このままなら)「人間の存在理由は喪失」し「〝今〟の人類が滅びた方が、地球が元の美しい地球に戻れる」―――という強烈なメッセージを発していた。講演に際し、こうしたカオスの中の秩序とでもいったものを見出せず躊躇があった。しかし大学側も私の煩悶は織り込み済みだったようである。友人の勧めもあり「招待講演」だと割り切りロンドンから列車に乗ったのである。

画像の説明

 講演はケンブリッジ大学の日本研究センターで行われた。聴講者はアングロサクソン系同センター研究生と指導教官(チューター)に加え、経済学部大学院生、客員フェローの資格で在籍していたシンガポール、インド、中国、台湾、日本の大学教授など国際色豊かな数十名。マイクロマシンなど先端技術にも触れ「匠の国」のモノ作りとその精神など言及したつもりであった。Queen’s English が標準の中で、白洲次郎流のアフェクティションなどとは程遠い、訥々たる講演二時間。途中コーヒーブレークでなく完全なワインブレーク。講演途中に? と、少し驚いているとチューターは
「ケンブリッジのユーモアです」
―――とのこと。苦し紛れに
「これはフランス・ワイン?」
「いいえケンブリッジ・ワインです」
 グラス片手に僅かにたじろぐやつがれに対し、矢継ぎ早に質問が飛んだ。彼らにとって量産数などで世界的な時計メーカーとして認識されているセイコーの CTOという立場もあったかもしれない。半導体など日本の先端技術メーカーは、ドングリの背比べのように、どの会社も同じようなR&D投資にそれぞれカネをかけている。「何故協力して日本連合を構築し対海外戦略を組まないのか?」、「国家全体を考えたとき縦型共同体社会の利点は何処に存在するのか?」、「(彼らがあると思っている)国家戦略に各大企業はどう関与しているのか?」、「優秀といわれる日本の官僚は現状機序をどう仕掛けるのか?」 ―――といった質問としては豊穣な内容で、ワインブレークの時間はあっと言う間に過ぎてしまったのである。

 ブレーク後の後半の講演も質問は延長され、予稿集はかなりスキップしたまま終演。地球環境マターもあるにはあった。しかし若い研究生から「日本は特許、特許というけれど、もっと普遍的価値に対し貢献すべきではないか」といった類の質問が多数あった。例を挙げ「ニュートンからホーキングに至るまで基礎科学の原理など人類共通の普遍的価値を有する知的財産。こういった普遍原理を特許に換算した場合、日本はただ乗りである。もし我々が特許料を請求したら破産するのでは?」―――といったキツイご意見もあった。

 いつだったかケンブリッジ大学で「在学中に研究したものは全て失敗」という論文が博士論文の中の最優秀賞を受賞した。この論文は研究したものがなぜ、どうして失敗したかを克明に分析したペーパー。「失敗の研究」を評価する大学の柔軟性が凄いのである。日本の大学ではありえず、あってはならず、文部科学省からの研究予算も下りなくなるだろう。ここが一流と三流の分水嶺。外国への安っぽい献金など最小限とし、カネのあるうちに研究者の縮み指向の撤廃と、競争的資金の全体最適に向けた政策的誘導が問われている。ケンブリッジ大学のこうした学問や研究にたいする姿勢が、例えばノーベル賞受賞者数で大学世界一の名声を獲得しているのであろう。

 重い議論の交換だったが大学側は満足げで再度の講演要請もあった。宿舎としてニュートンが学んだことで有名なトリニティ・カレッジの、或るゲストハウスが用意されていた。途上チューターはこのカレッジに付置された湖畔に静かに佇むレン図書館(The Wren Library)を案内してくれたのである。ここはロンドンのセントポール寺院などを設計した建築家サー・クリストファー・レン(Sir Christopher Wren)が、トリニティ・カレッジのために設計し一六九五年完成した図書館。学内に多数ある図書館の一つだが、ここだけでニュートンの余りに著名なプリンキピア〈自然哲学の数学的諸原理〉、シェークスピアの四大悲劇の一つ「マクベス」などの原典、フランシス・ベーコンやバートランド・ラッセルといった世紀の哲学者達の書籍や使用したペン、英国の最大富豪ロスチャイルド家の文章コレクションなど、知能発電所として異次元の圧倒的重量感があった。また用意された宿舎は古城然とした特別な貴賓室。そこは二週間前までチャールズ皇太子が滞在していた広いスイートルーム。執事によると一年前まではダイアナ妃も一緒に寝泊りしていたトポスなのである。八メートル程の高い天井と年代ものの家具付きの広い居間。ダイアナ妃も共に就寝したであろうそのダブルベッドはかなり高く一・七メートル以上。やつがれも脚立を使ってよじ登り、「大学」がもつ桁違いの全体像に何度か寝返りを打ちながら就寝した。

レン図書館

 十二世紀の大学創設。日本の源平合戦の時代であり、学内に警察権もワイン製造権もあった。現在の名誉総長はエリザベス女王夫君エジンバラ公である。翌日チューターは見送りながらいみじくも語った。「ここから首都ロンドンまで約九十キロ。実はケンブリッジ大学が所有する土地だけを通ってロンドンまで行けるのです」。―――トリニティ・カレッジの〝college〟も「修道院のような学寮」という意味で、「日本の単科大学という意味ではない。日本の大学も〝University〟と訳してはいけないのかもしれない。(写真)トリニティ・カレッジのレン図書館
2008.4 選択


  • この企画は、雑誌「選択」に紺野大介氏が連載されている「あるコスモポリタンの憂国」から、ルーフネットの読者に読んでほしい記事を選び、著者と「選択」編集部の許可を得て転載しています。

powered by Quick Homepage Maker 4.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional