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ジョサイア・コンドルの博物館

ジョサイア・コンドルの博物館

東京国立博物館140周年特集陳列
ジョサイア・コンドルの博物館

東博・コンドル展

上野公園の東京国立博物館で会館140周年として、8月7日から、平成館企画展示室において、特集陳列「ジョサイア・コンドルの博物館」が開催されている。
2012年8月7日(火)~2012年9月23日(日)

上野博物館遠景之図(部分)J.コンドル(明治時代・19世紀)明治10年(1877)に建築教師として来日した英国人ジョサイア・コンドルは、ただちに上野に新設される博物館本館の設計と施工に携わりました。上野博物館本館はコンドル初期を代表する大作でしたが、関東大震災で被災し惜しまれながらも取り壊されました。当館には幸いにも設計及び施工時の図面が一括して伝来しており、往時の姿をしのぶことができます。創立140周年に当たり、これらの図面の一部と工事中及び竣工後の写真を紹介します。(パンフレット解説文より)

コンドルについては↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB

上の図はコンドル自身が水彩で画いたパース。「上野博物館遠景の図」

談山神社

コンドルは河鍋暁斎に師事して日本画を学び、「暁英きょうえい」と号した。「美術的に防水とコンドルとのかかわり」を探してみると、あるものだ!防水の祖神天智天皇が即位する前(中大兄皇子)、鎌足とのツーショットをコンドルが図いている。大化の改新を断行した中大兄皇子と中臣鎌足が、蹴鞠の会で縁を持ち、蘇我氏を滅ぼす策を語りあったといわれる場所が奈良県桜井市の談山「かたらいやま」。

談山神社十三重塔。678年に完成したが現在の塔は1532年の再建。屋根は桧皮葺き。高さ17メートル。現存する世界唯一の十三重塔。

J.コンドルは防水の祖神天智天皇を画いていた!

コンドルの年譜に

1884年(明治17年)絵画共進会に「大兄皇子会鎌足図」ほかを出品、入選。

とある。この年、辰野金吾の教授就任により工部大学校を退職している。

※ ※ ※

コンドルは1877年(明治10年)来日、工部大学校(現・東大工学部建築学科)造家学教師および工部省営繕局顧問に就任。翌明治14年河鍋暁斎に入門し、毎週土曜日稽古に通い、2年後の明治16年には暁斎から暁英の号を授かっている。そして明治17年、絵画共進会に「大兄皇子会鎌足図」、「雨中鷺」を出品、入選。後、明治26年、花柳流の舞踊家と結婚している。描いたのもが花鳥風月だけでなく、大化の改新前夜の秘密作戦会議の様子だ。コンドルは日本の歴史と文化のかなりコアな部分に踏み込んでいたようだ。

上野博物館は明治10年に来日したコンドルの最初の作品。煉瓦造2階建ての建物は明治14年竣工後、第2回内国勧業博覧会展示館として使用された。その後博物館1号館となり、建築史的には「長期にわたるコンドルの業績の初期を代表する大作」と位置づけられている。

「辰野金吾ら、創生期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた」から「コンドル先生」なのだが、この「先生」という呼び方にはもう少し親しみと愛情がこもっているようだ。「お雇い外国人」として最先端の技術を指導するために来日した彼が日本の歴史・文化・風土への興味と愛情をもっていた。そのことに対して周囲の日本人が抱いた安心感だったかもしれない。

2012/08/10(金)00:54:39|ニュース|

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