天下の名人塚田秀鏡と防水とのかかわり
天下の名人塚田秀鏡と防水とのかかわり
世界が驚嘆した明治の超絶技巧
「天智天皇への瀝青献上図」花盛器は第一展示室の中央ケースに鎮座
日本書紀の天智7年(668年)に、越の国(今の新潟県)から燃える土(瀝青)と燃える水(原油)が献上された、と記載されている。明治・大正期の歴史画家小堀鞆音(ともと)は、日本石油から同社創立30周年事業の一環として依頼され、これをモチーフとした画を残している。塚田秀鏡の最晩年のこの作品は小堀の画を極めて忠実に写している。
石油業界は日本書紀の記述を自らの業界の起源とし、日本石油は創立30周年記念にこの画を小堀鞆音画伯に依頼し、大協石油(現コスモ石油)はやはり創立30周年記念として前田青邨に同じテーマの画を依頼した(紹介すみ)。「燃土燃水献上図」は古代から接着、防水などに使用されていた燃土=瀝青=天然アスファルトを出発点とする日本の防水業界にとっても、業界の起源と考えられる。
塚田秀鏡の作品は小堀鞆音の原画の人物の衣装・表情まで忠実に再現しており、防水関係者はそれを間近に見ることのできるこの機会をお見逃しなく。
燃土燃水献上図花盛器
注:小堀の「燃土燃水献上図」の下画は東京芸術大学が所蔵しており、「大正3年博覧会のため」、とある。この下画は来週紹介します。さて日本石油の盛大な30周年行事はその3年後の大正6年1917年5月5日。1918年に没した秀鏡はいつ原画を見たか?芸大蔵の下絵の「博覧会」とは?