「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

最終講義

最終講義

田中享二先生最終講義始まります。
お待たせしました。防水研究の第一人者、東京工業大学名誉教授 田中享二先生最終講義が始まります。
本当にたくさんの人たちから、催促されました。
最終講義は2011年3月9日(水)東京工業大学すずかけ台キャンパス すずかけホールで。15:30 受付開始、16:30 最終講義、18:00 謝恩会。

開演1時間まえから、たくさんの人が集まり。ホールは満席。謝恩会も大盛況。教室に会場を移しての2次会まで沢山の人でした。

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1 北大入学から東工大赴任まで

お忙しい中、こんなに多くの方に来ていただけるとは思ってもみませんでした。本当にありがとうございます。まず私がどうして建築の道に進んだかということから、話を始めたいと思います。

私は札幌で生まれて、札幌で育ちました。大学がそばにありましたから、北大に行きました。北大では、最初から専攻が決まっているわけではなく、まず理系希望者を理類という枠で、ざっくり取ります。ですから一年生の間はまだ専攻が決まっていません。当然自分が何をしたいのかが良くわかっていませんでしたので、うろうろしておりました。たまたま夏休みに、北海道開発庁という国交省の弟分のような組織でアルバイトの募集があり、これに応募しました。配属されたのが土木試験場でした。私は特殊土壌研究室というところで、土質試験を担当させられました。その時の室長さんは京都大学の土木を卒業された方でしたが、室長さんから「田中君、将来はどうするんだ?」と尋ねられました。「まだ決めていません」と答えますと、「土木は面白いぞ。君はあまり細かいことにこだわらない性格のようだから、土木に向いているのではないか」といわれました。そのとき初めて土木という分野のあることを知りました。

 二年生になりました。また北海道開発庁でアルバイトをしました。今度はダムの事業所でした。場所は雨竜という旭川から西の方の小さな町です。そこでは三つのダムの管理をしていました。これらのダムはコンクリートダムではなく、アースダムという農業用水を取るためのものです。そしてそこでの生活がいたく気に入りました。昼間はあまり忙しいこともなく、夕方はきっちり5時に終わり、夜は飲み会でした。寮に泊り込みでしたから、職住接近で遅刻することもなく、非常に楽しい生活を送らせていただきました。それで、「俺は土木に行くぞ」と決めました(会場笑)。

 いよいよ夏休みが終わり、いよいよ学科を決める段になりました。お袋に「土木に行く」と言いましたら、「それも良いけれども・・・」と話を切り出すのです。実は私の親類は大体が農家で、ただ一人を除いて大学に行ったひとはいません。そのひとりが北大を1番で卒業し当時の国鉄に入り、最後は本州四国連絡橋公団の理事になった叔父です。お袋は「お前は、私の子で勉強もあまり好きでないし、比較されるとみっともない。親類中の笑いものになるからそれだけはやめてくれ」と云うのです。わたしもそんなに強い意志があって、学科を決めたわけでもありませんので、似た学科はないかと次を探しました。そうすると建築が私のイメージしているものに近いことがわかりました。それで建築を選びました。

 そこまでは良かったのですが、建築学科に入りましたら、最近の建築志望の学生は「建築家になりたい」とか「デザイナーになりたい」、「構造設計者になりたい」という風に、しっかりとした目標をもっている人が多いのですが、当時の北大はそこまでではなかったものの、それでもコルビジェやミースがどうだとか、丹下、磯崎はどうだとか、さすがに丹下さんは知っていましたが、いろいろな建築家の名前がとびかっていて、もしかしたら選択を間違ったかなと、大変心配しました。それでも辛抱していますと、建築材料という若干高尚さには欠けるところもありますが(会場笑)、私の性格に合いそうな分野のあることも分かりましたので、建築の分野で生きてゆこうとやっと思ったわけです。そういうことで、りっぱな志をもって建築に入ったわけではありませんので、私の今日の話もそんな程度だと思って聞いていただければと思います。

 そのような理由で四年生の時、卒研生として「材料講座」に入れていただきました。北大材料講座の得意は、コンクリートの凍害です。鎌田英治先生というすばらしい先輩がいらっしゃいました。教授をされていた途中で亡くなられましたが、当時は博士課程の学生で、家が近かったせいもあり、私をとても可愛がってくださいました。ところがやる実験はコンクリートですので、実験室から泥のついた長靴でそのまま研究室に上がってきますから、すごく汚いのです。こんなに汚い作業を卒業研究に選ぶのはどうかと躊躇していました。たまたま小池先生という防水をやられている先生がいて、少しは小綺麗にみえたものですから(会場笑)、防水の研究室を選びました。

 そして4年生の卒業研究を終え、修士課程に入りました。修士二年になり、これから修士論文研究をがんばろうと思った矢先に、小池先生は東工大に転出してしまいました。そのため私は指導教官なしの、ひとりで修士論文を書く羽目に陥りました。小池先生も、さすがにそれではかわいそうと思ったらしく、就職先として、あるゼネコンの研究所に話をつけてくださいました。私も良かったと思い、そこの会社に行くつもりでおりました。しばらくして、小池先生から突然「助手のポストがある。手元が必要だから来い」との連絡が来ました。私は、基本的に勉強が好きなほうではありませんでしたし、人生設計で大学の先生になるということは一度も考えたことはありませんでしたので、これは困ったことになったと思いました。またお袋に相談するとろくなことにならないので(会場笑)、今度は弟に相談しました。私の実家の職業は靴の販売業です。弟は「親父の商売は俺が引き受けるから、兄貴は好きなことをやれよ」と言ってくれました。それで東工大に赴任することができたわけです。

 東工大に来てみて、結論から言うとすごく幸せでした。東工大は他所から来た人に対しても、非常に温かいというか分け隔てないというか、仕事をのびのびとやらせてくれました。これには本当に感謝しています。小池先生の上の先生は後藤一雄先生で、才能豊かですが何かを押し付けるということのない先生でしたので、自由に研究ができました。ということで防水にのめりこみ、気が付いたら40年立っていたというわけです。

 さて、本日は防水の二・三の話題ということで、厳選したつもりでしたが、準備してみたら4つになりました。お聞きになられる方は大変かと思いますが、お付き合いください。研究というのは調査や実験をして論文を書くのが主ですが、実は研究を通して学ぶことも多かったです。今日は研究と合わせてそのこともお話できたらと思っています。

>>続く

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最終講義 ②

防水研究の第一人者。
東京工業大学田中享二名誉教授の最終講義。第2回目です。
最終講義「防水に関わる2・3の話題と研究から学んだこと」から

第2回目:40年の研究を通して得た結論は「防水の本当の役割は、建物本体を長持ちさせること」

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 まずこの写真をみてください。私が昨年(2010年)の夏、マリ共和国に屋根の調査に行き撮影したものです。昨今何かと話題となっているリビヤの南側にサハラ砂漠という広大な砂漠があります。その南端にこの国はあります。屋根はフラットルーフばかりです。首都はバマコで、ここには若干鉄筋コンクリート建物はありますが、首都を離れますと、日干しレンガと泥で作られたこういう家ばかりになります。健全な建物は、真ん中に見えますように、パラペットがあってちゃんとしているのですけれども、手入れが悪かったりすると、手前の家のようになるわけです。家がこんな風になってしますと、日本ではもう住まないのですが、マリのひとはこんなになっても頑張って住んでいます。
 かなり崩れていますが、これをそのまま放っておきますと、本当に壊れてしまいます。砂漠の気候で、なんでこんな風になるかと言いますと、実は雨です。私が調査に行った8月は雨季でした。ドライバーとガイドさんと3人でマリを駆けずり回ったのですが、一日に30分程度ですが、道路がどこかわからなくなるくらいの強い雨が降ります。ちなみに地元のひとは「スコールとは言わないのだ」と言っていました。何と言うのかと聞きましたら、強い雨とだけ言うのだそうです。

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 そうすると、建物が溶けてしまう。溶けないように何とかしなくてはならないことになります。これはまともな建物の写真ですが、そのための仕組みがパラペットです。パラペットに横引きのドレンをつけます。さらに樋を付けて長くして、雨を建物本体から十分に離れたところに落とします。このことにより、雨を建物に触らせないようにするのが、マリの建物の作り方であるということが分かりました。

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 ここで建築材料、特に構造材料について解説しますと、一般的に水が苦手です。土はこのように溶けてしまいますし、木材は腐ります。鉄は錆びます。コンクリートでも内部に水が入りますと凍害を起こします。鉄筋コンクリートのコンクリートも程よい水分があると中性化が進みます。そして次に鉄筋が錆びます。このように構造材料や部材は基本的に水が苦手です。

 この写真は、私の好きな建物、閑谷学校です。岡山市から車で30分くらいの閑谷というところに、江戸時代の藩校があります。左側にその講堂が写っています。私が20年ほど前に初めて訪れた時はまだ有名ではなく、訪れる人も少なく管理の教育委員会の方が直接案内してくださいました。今はすっかり有名になりましたので、観光ガイド等でご覧になることも多いと思います。

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 私がここを訪ねたのには理由がありました。これが三層の屋根構造を持っているということを知ったからです。一番上が、備前の赤瓦です。備前焼は瓦に使うものではありませんで、本当はいろいろな容器に使われます。我々に近いところで言いますと、小料理屋さんのぐい飲みとしてよく見かけます。。備前焼は上薬をかけませんで、炎だけで模様をつけますので、すぐ分かります。そしてその下に流し板葺きという長い板を入れ、その下に土居葺(どいぶき)あるいは柾葺(まさぶき)と呼ばれる、薄い板材で葺いた屋根があります。全体で三層の屋根構造にしてあります。つまり、完全に雨水を止めようと思ったら、三重にしなければならないというわけです。先日、大改修中の出雲大社の現場を見学する機会がありました。ここもやはり同じ屋根構造でした。これを見て「本物の建物、屋根」を実感しましたし、「江戸の棟梁はそこまでやるのか」と驚嘆もしました。

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 三重構造にした理由ですが、木を腐らせないための工夫だと思います。我が国の伝統建築を特徴付けるものは、伝統木造建築の三点セット、これは私が勝手にそう呼んでいるのであまり信用しない方がよいのですが(会場笑)、一つ目は強い勾配の屋根、二つ目は深い軒の出、三つ目は高床。この三つを書き込みますと、絵の下手な方でも、何となく日本の伝統的な建物の雰囲気を出すことができます。

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 これらのことが、閑谷学校に行くとよくわかるのです。屋根は急勾配の備前焼の赤瓦。それから深い軒の出。これらは雨が降った時、柱や梁といった主要部材に、直接雨が当たるのを少なくするためです。それと高い床ですが、これは足元を風通し良くして、木材を気乾状態に保つための工夫です。もちろん室内に雨が入ったら、快適な生活が阻害されますので、屋根には防水の役割はあります。しかし本当の役割は、建物を何とか長持ちさせようとする点にあります。江戸の棟梁も頑張りましたし、マリの職人さんも頑張っています。私が40年の研究を通して得た結論は「防水の本当の役割は、建物本体を長持ちさせる」であります。
 そして屋根が建物を守るために頑張らせるためには、防水材料も頑張らなければならないことになります。防水が10年くらいの寿命でよいというのは、やはりおかしく感じます。卒論で研究を始めた時分には分かりませんでしたけれども、今はそのように思っています。

>>つづく

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