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正倉院本屋を支える根太の鼻にかぶせた銅板

正倉院本屋を支える根太の鼻にかぶせた銅板

鼻先の銅板は元禄修理の際に巻かれた

画像の説明

奈良市の正倉院で11月30日、宝庫の扉を閉じる「閉封の儀」が行われた。

宮内庁正倉院事務所の杉本一樹所長ら18人が内部の六つの扉に錠をさし、麻縄に勅封(ちょくふう)を巻き付けた。宝庫は10月2日に開封され、奈良国立博物館で同月27日~11月12日に開かれた「第64回正倉院展」に、コバルトブルーのガラス器「瑠璃坏(るりのつき)」や、聖武天皇が愛用した「螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)」など64件を出展。約23万8000人が鑑賞した。同展の入場者は8年連続で20万人を突破しているという。ツタンカーメン展も大人気。やはり宝物は人気がありますね。

その宝物を守る正倉院の改修工事も着々と進んでいる。そのうち今回は銅板を使用した部分を紹介します。

どこまで巻くか
どこまで巻くか。支柱に少し差し込んでいる。

鼻先天場
根太の鼻先天場。

正倉院御物が奇跡的に良好な状態で、保存された理由として2つの要因が挙げられています。

一つは「勅封制度」によってみだり出し入れできなかった。されに建築的にみると、宝庫がやや小高い場所に、巨大な檜材を用いて建てられ、高床式の構造であることです。宝物は唐櫃に入れられた上、庫内で庫内に納めて伝来されましたから、櫃内の湿度の高低差を緩和し、外光や汚染外気を遮断するなど、宝物の保存に大きな役割を果たしたというものです

小学校で教えられた「校木(あぜぎ)の隙間が湿度によって変化し、内部の湿度をい状態に保っている」という説は、実は正解ではなかった。「巨大な屋根の重量で、校倉(あぜくら)の呼吸・湿度調整機能は実はあまり効果はなかった」というのが最近の定説になっています。

鼻先、下から
根太鼻先。下から。

正倉院は、奈良時代に創建され、治承4年(1180)の平重衡の南都焼打ち、や永禄10年(1567)の三好、松永合戦の兵火による大仏殿炎上、建長6年(1254)の北倉への落雷など大きな被害を被ってきたものの、幸運にも大事に至らず、現在の姿をとどめています。

解説によると、「…その間には経年による朽損、雨漏りなども少なくはなく、建物の維持のため、大小いくつもの修理が行われています。たとえば、いま見る外観のうちで、床下の柱に巻いた鉄の帯や、本屋(ほんおく)を支える根太の鼻にかぶせた銅板は、後世の修理時に加えられたものです。…」

ここにも
ここにも…

では「本屋(ほんおく)を支える根太の鼻にかぶせた銅板は、後世の修理時に加えられたものです。」の「後世」とはいつだろう。

一つ資料がありました。宮内庁正倉院事務所長を務めた、土井 弘(どいひろむ)さん(明治36年広島県生まれ) が昭和43年、小学館から発刊された「原色日本の美術」で次のように解説しています。 

柱の上に縦横に組まれた根太の各鼻先が突き出しているのは実用というよりも装飾的な効果をあらわしたものといえよう。

鼻先を覆う銅板は元禄修理の際、先端の腐食を防ぐために取り付けられたものであるが、年を経て自然に吹き出た緑青の錆は、色彩のない宝庫のたたずまいを一層引きたせている。

実用一点張り「用の美」の典型のような正倉院正倉に程良い色彩を添えている。

2012/12/09(日) 10:53:02|歴史的建物を守る|

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