「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

祇園閣

祇園閣

448祇園閣とコカk-ラPG9P1636

祇園閣–1928年(昭和3年)に建築された鉄筋コンクリート造三階建。高さ百二十尺(36m)、鉾先には金鶴が輝く。大倉財閥の設立者である大倉喜八郎が建てた別邸の一部である。屋根は銅板葺きで、これは大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったため、と言われている。祇園祭の鉾を模したもので、設計は伊東忠太。入口や内部のあちこちにに忠太の霊獣が据えられている。

金鶏PG9P1626

1988年には望楼に至る階段の壁に敦煌・莫高窟壁画模写が中国人画家の手により描かれている。1997年(平成9年)12月12日、国の登録有形文化財に登録された。書院は元々この地にあったもので、旧大倉家京都別邸・真葛荘の一部。祇園閣とともに国の登録有形文化財に登録された。

大雲院
天正15年(1587年)正親町天皇の勅命により織田信長・信忠の菩提を弔うため、開山貞安上人に御池御所(烏丸二条南)を賜り、信忠公の法名「大雲院殿三品羽林仙厳大居士」に因んで大雲院と名づけ、織田父子の碑を建て追善供養した。
その後、豊臣秀吉は寺域の狭隘なるを観て同18年(1590年)寺町四条に移し、同年後陽成天皇により勅願寺の綸旨を給い、大雲院の三字を親書された。その勅額は本堂にかけられている。以来その地に伽藍を擁していたが、その周辺は商業繁華の中心となった為、当地祇園閣のある真葛ヶ原の勝域に移転され、昭和48年4月、本堂が落成した。

祇園閣
この地は元財閥大倉喜八郎男爵の別荘で、昭和3年御大典記念に祇園祭の壮観を常に披露したいと希って山鉾を模した祇園閣を建てたといわれている。鉄筋コンクリート造三階建で高さ百二十尺(36m)、鉾先には金鶴が輝き、地価の基礎も深さ百尺に及ぶ。
昭和48年、この地への寺地移転を機に一階正面に阿弥陀如来像を安置した。昭和63年秋、開創400年を記念して内部壁面に葛新民(中国安徽省・巣湖書画研究会副会長)の筆による敦煌の壁画の模写か完成し、当院に奉納された。観無量寿経変想図、釈迦説法図、千手観音図などが描かれている。

2018/08/22(水) 21:32:24|PHOTOダイアリー|

powered by Quick Homepage Maker 4.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional