筑波 平沢官衙(かんが)遺跡で、3つの屋根を見る
筑波 平沢官衙(かんが)遺跡で、3つの屋根を見る
筑波の正倉院は奈良・平安時代の役所跡
遠くの山影は筑波山
平沢官衙(かんが)遺跡:
奈良・平安時代の郡の正倉と推定される、地方官衙の代表的遺跡。
平成5、6年度に歴史公園として復原整備するための資料収集を目的に発掘調査が実施された。
東西 200m、南北 160mの調査範囲内で、地面に方形の大きな穴を掘り、柱をすえた掘立柱建物跡、55棟分を確認、そのうち3分の2が高床式倉庫と想定される総柱式建物跡であった。
掘立柱建物跡のほかにも一度地面を掘ってから、たたきしめながら土を戻して基壇を盛り上げ、その上に建物の柱をすえる礎石が置かれた礎石建物跡基壇跡も4基発見されたが、石が全て移動していたため建物の規模などは不明だが、奈良・平安時代の8~11世紀に造営されたもの考えられる。
大溝に囲まれて総柱式建物跡(高床式倉庫)が規則正しく並んでいることや周辺の遺跡分布から、古代律令制下の筑波郡役所(郡衙)跡の一部(正倉域=税である稲を保管した倉庫群。他に政務を行った郡庁や国司等が宿泊した館等がある)と推定される。(茨城県教育委員会資料より)
3つの建物は、遺跡調査の結果推定復元したもので、大型倉庫の3つの屋根葺き方法が、わかりやすく比較して見られる。
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校倉・寄棟・目板打ち厚板流れ葺
外周柱穴列を屋根支柱と推定して校倉、屋根は校倉建物に多い寄棟で復元。奈良県の東大寺や唐提招時に現存する奈良時代の校倉を参考にしている。
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土壁双倉・寄棟・茅葺
郡衙において中心的な倉は法倉と呼ばれ、土壁構造が多かったことから、土倉で復元された。倉として奈良県の法隆寺綱封蔵が参考。屋根は本遺跡の瓦出土量が少なく、瓦葺建物は考えにくいため茅で葺かれた。
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板倉・切妻・榑板葺
発掘調査で発見される掘立柱建物は、1柱穴1柱が多いが、この建物では側柱穴の2本の柱痕跡があったため、1本は床上まで伸びで、桁・梁を支える通し柱、もう1本は床を支える添束(柱)と考えた。そして、柱の間に板壁を落とし込む板倉で復元された。
2014/08/19(火) 08:27:09|屋根|