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防水アーカイブWGが黒川燃水祭に参加を計画

防水アーカイブWGが黒川燃水祭に参加を計画

新潟県防水協も参加予定
シンクルトン記念館での講演も

採油

毎年7月1日、新潟県胎内市のシンクルトン記念公園の原油が湧き出る池で、黒川燃水祭が行なわれている。燃水祭は、日本書紀の天智天皇7年(668)の条に「越の国から燃える土と燃える水を天智天皇に捧げた」という記述があることにちなんで、新潟県胎内市(旧黒川村)と滋賀県近江神宮で行なわれている石油・防水業界にとっても重要な祭事である。

今年2019年の黒川燃水祭は,例年同様、7月1日(月)午前10時30分から、新潟県胎内市下館1622のシンクルトン記念公園で開催。また11時45分からは、胎内市役所黒川庁舎前通り(胎内市黒川1410)で、献上行列が行われる。

この祭事に防水関係者が参列するようになったのは2011年からで、今回、日本建築学会・防水工事運営委員会・防水アーカイブズ調査研究WG(田中享二主査)が、黒川燃水祭への参加にむけて調整を行っている。

現在の計画では、前日の6月30日(土)午後4時から、新潟市内で、胎内市文化財保存担当の伊藤崇(たかし)氏の講演「黒川燃水祭と黒川油田の歴史」を聞いた後、新潟県防水工事業協同組合(吉井清 理事長)との意見交換を行う。
翌日の7月1日は、燃水祭開始前に、会場となる石油公園内の「天智天皇に献上した油を採取した油坪(池)」や、「明治時代に英国人シンクルトンの指導によって造られた木枠組の石油井戸跡」などを見学。燃水祭終了後は、献上行列見学、さらに時間があれば胎内側上流の黒川郷土文化伝習館訪問もメニューに上がっている。
 

画像の説明燃水祭会場 (1)

日本書紀の記述は石油関係者にとっては「燃える水=石油に関する我が国最古の記述」であることから、業界の起源となる重要な祭事として位置づけ、毎年多くの関係者が参列している。一方「燃える土=アスファルトに関するわが国最古の記述」の意義は防水業界にとっては重要だ。わが国の天然アスファルトの利用は1万5千年前・縄文時代の矢じりの接着や土器の補修や防水・防湿のためのコーティングに遡る。人類と石油とのかかわりはアスファルトのこうした利用に始まったのである。ゆえに「燃土燃水献上という日本書紀の記述が防水業界にとっても、防水業界の起源に関わる重要な記録である」という認識が徐々に高まり、5年前からは、防水関係者が、黒川燃水祭・近江神宮燃水祭に多数参列するようになってきた。2015年より地元・越の国の防水工事店の高橋英樹氏が毎年参加している。高橋さんは全国防水工事業協会北陸支部の副支部長を務めている。

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臭水(くそうず)坪には油が浸み出し、真黒だ。

黒川の地名は湧き出した原油が川に流れ、真っ黒になったことから付いたといわれている。黒川燃水祭は1983年から地元の保存団体「越の国黒川臭水(くそうず)遺跡保存会」が行っている。地元の小学生などおよそ80人が見守る中、保存会の関係者が、カグマと呼ばれるリョウメンシダの一種の葉を池(油坪)に浸したあと、葉を絞って油を集め、近江神宮の神職に油(燃える水)を手渡す。

油は天智天皇を祭る滋賀県大津市の近江神宮で、7月5日に行われる近江神宮燃水祭で奉納される。

献上行列

昭和60年に黒川石油公園が黒川油田跡地の森の中に整備された(面積8,250㎡)。公園内には明治期にシンクルトンが指導して掘った堅井戸や、排水溝、それ以前の古い油坪などが保存され、黒川油田の繁栄を示す建造物として、石油掘削櫓を模したシンボルタワー、東屋、遊歩道なども設置され、採油用のカグマを栽培する展示畑もつくられた。公園内では現在も天然ガスがポコポコ吹き出る様子や、池や井戸から臭いを漂よわせながら湧き出る原油をみることができる。この黒川石油公園が整備された年、アラブ首長国連邦駐日大使が黒川石油公園を訪れ、またその3年後、黒川村長がアラブ首長国連邦に訪問し国際交流を深めている。平成4年には黒川の臭水(4,822㎡)が新潟県の天然記念物に指定され、さらに平成6年には考古学的な価値が認められ国の史跡に指定された。

シンクルトン記念館は平成8年に建設された。室内展示の概要は、古代~現代までの臭水と共に生きた人々の歴史を紹介。石油関係民具の実物展示、イラスト・写真・模型などにより展示、説明をしている。ハイビジョンシアターでは臭水と人との関りを学習体験できる。またこの地方独特の臭水の採油方法や、黒川燃水祭の様子も紹介している。入口ロビーにはアラブ首長国連邦児童絵画の作品も鑑賞できる。過去の歴史だけではなく、石油の現在、さらには未来の地球環境の認識も深めてもらうような展示がされている。

石油記念展示室 
記念館展示室

防水アーカイブズ調査研究WG
2013年4月から活動を開始している日本建築学会・防水工事運営委員会・防水アーカイブズ調査研究WGの活動内容に関して主査の田中享二東工大名誉教授は、次のように述べている。

「わが国の防水の歴史はすでに100年を超えている。この間多くの材料・工法が開発され、多くの人が関与し、現在に至っている。ただこれら情報を保存する習慣、それを受け止める仕組みがなかったため、貴重な防水遺産が散逸・消失し、現在もその状況が続いている。これらを危惧し、次世代へ防水情報を伝達する仕組みとして防水アーカイブズを構想し、建築学会防水工事運営委員会内にワーキンググループを設置し活動を開始した。」防水アーカイブズにおける収集対象は・ひと・もの・文書。
「現在のシーリングとメンブレン防水の材料と技術体系はいうまでもなく、過去の膨大な情報の上に成り立っている。幾多の漏水事故を糧として設計、材料、施工は進歩してきたからである。そして将来の防水は現在の情報の上に作られるだろう。過去を学ぶことは将来を考えることである。そのためには防水の過去から現在を繋ぐ装置が必要であり、その一つがアーカイブズである。」
更に同記事の中で、消失しつつある防水遺産の現状を憂い、「現在のものこそ消失しやすい」とも訴えている。
「実は現在のものも危ない」。現在のものはまわりにもふんだんにあり、電話でお願いすればすぐに材料も技術資料でも入手できるため、誰も取っておこうとは考えないが、放っておくと(古いものと)同じ運命をたどるからだ。

WG設置以来毎年「もの」情報を報告してきたが、昨年の学会大会では「ひと」に関する報告を初めて行った。「防水アーカイブズに関する研究その5防水アーカイブズ資料としての「ひと」情報収集の現状」として、~現在までに200名を超える「ひと」のファイルが完成しているが、今のところ、情報の得やすい論文や雑誌等に頻出する「ひと」に偏っており、実際の工事に携わった実務関係の「ひと」が少ないこと、今後の収集計画、閲覧計画~などを報告した。

2019/04/13(土) 16:24:11|ニュース|

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