鶴ヶ城の赤瓦
鶴ヶ城の赤瓦
会津若松・鶴ヶ城
1384年葦名直盛が築城。1593年蒲生氏郷が7層天守閣を完成させ、鶴ヶ城と命名。戊辰戦争で一ヶ月の激戦が繰り広げられ、天守閣は1874年取り壊し。
現在の天守閣は、1965年に鉄筋コンクリート造で復元され、戊辰戦争や会津の歴史などを紹介する資料館となっている最上階の展望台からは、会津若松市内、磐梯山まで見渡せる。
2000年に干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋(みなみはしりながや)が木造で復元され。特に屋根が黒瓦ではなく、寒さに強い赤瓦で葺かれていることが特徴。
2019/05/15(水) 20:07:45|PHOTOダイアリー|