「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年4月18日 号(№43)

2011年4月18日 号(№43) 画像の説明

2011年 卯月うづき 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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青邨の「燃水図」は大協石油の30周年記念である証拠

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前田青邨が画いた「燃ゆる水献上図」
昭和51年3月21日大協石油株式会社取締役会長・密田博孝氏から「燃ゆる水献上の図」の複製画が奉納された、との記録が残っている。>>全文を読む

防水マンの運動会

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ルーフィング担いでのリレーは、防水運動会の花形競技
リレーの決めてはバトンタッチと言うが、ルーフィングリレーのバトンタッチの難しさはその比ではない。重くて長いルーフィングバトン。まして右利きから左利きへ、左利きから右利きへのバトンタッチとなると、こんな転倒は当たり前。>>写真を見る

オペレッタ(喜歌劇)「燃える水」

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大正6年、日本書紀に記された「天智天皇への燃土燃水献上」をテーマーにしたオペレッタが初演された。
ローシー一座による喜歌劇「燃える水」大正6年5月5日 両国国技館にて>>写真を見る

絵日記

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あるコスモポリタンの憂国(『選択』連載33)

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特に意味は無いのですが、首相官邸です。

必ずしもトップやリーダーに対して、常に正しい判断や高い能力を求めるものでは有りません。でも、逃げないで欲しいと同時に、「志」を持ってて欲しいと思います。なぜか思い浮かぶこの人たちの顔。

橋本左内
橋本左内

吉田松陰
吉田松陰

今回は、この話です。

ロンドン大学のサムライ講義

清華大学招聘教授 紺野 大介

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幕末の先覚者、佐久間象山が門弟・吉田松陰の黒船密航事件に連座して投獄され、その後九年間・松代藩(長野県)で謹慎生活を送ったのはよく知られている。 しかしこのときの想いをしたためた「省愆録(せいけんろく)」は存外、世に知られていない。象山四十五歳頃の著作。我国が日米和親条約、日英和親条約と次 々と締結していった将軍家定の時である。

 浅学の筆者はこの「愆」の字が読めなかった。「字通」「字統」を孫引きしやっと意味が分ったのである。それによれば「愆(けん)」の声符(中国語の字音 を標記する符号)である「衍(えん)」は「行路上に水が溢れる形で不都合なことを意味する」。この下に意符の「心」をつけ、「過ち」「仕損じ」「了見違 い」といった意味になるとのこと。李白の詩「功成りて、身退かざるは、古より愆尤多し」(愆尤(けんゆう)=咎め)でも推察できる。従って「省愆録」と は、自信家の象山にとって「仕損じを内省するの記」といった処なのであろう。

「省愆録」の第十章第四節は“外国語の必要”という個所。「夷俗を馭(ぎょ)するは先ず夷情を知るに如くはなし。夷情を知るは先ず夷語に通ずるに如く はなし。故に夷語に通ずるは――」と語り、自ら外国語辞典を作り、外国語の重要性を力説した。言語力は文化力、文化力が国力であることを喝破していたので あろう。この深い理解や教育が本物にならず今日に及んだという見方もある。初代文部大臣の森有礼は何と「英語の国語化」を提唱した。更に小説の神様・志賀 直哉までも「戦争に負けたのは日本語のせいであり、公用語をフランス語にすべき!」と。――文化は上流から下流に流れる。「日本人を舐めるなョ」といった ところで、英語で表現しない限り伝わらないのが国力というもの。「省愆録」はともかく、“大義”とか“もののあわれ”といった英語にない美しい日 本語と格闘しながら、もっといえば英語より難しい徳川後期の日本語と格闘しながら、愚直に橋本左内の著作「啓発録」と取り組んだ。吉田松陰の「留魂録」英 完訳よりずっと以前のこと。早速、相手国の素晴らしいエートスを学ぶ事には貪欲な英国から講演依頼があった。一九九六年秋のことである。

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 ロンドン大学はロンドンの中心地ブルームズベリーにある。英国最大の大学であり、大英博物館の北に位置する大学本部のSOAS(東洋アフリカ研究学院) で「On Sanai Hashimoto」と題して行われた。出席者は文学部長や教授、大学院生など約七十名ほど。ドナルド・キーン米国コロンビア大学名誉教授の弟子である ガーストル(D.Gerstle)教授、津和野藩の思想家「大国隆正の天主教観」の研究でケンブリッジ大学から文学博士号を取得したブリーン (J.Breen)助教授等も聴講した。ガーストル教授によればブリーン助教授は、英国に於ける「日本の幕末研究の第一人者」とのこと。仄聞にして知らな かったけれど、求道者の端くれのつもりで聞いて戴くことにした。

 幕末維新は日本史上、歴史の沸騰点と呼べるほど光の夥しい傑物が出現した時代である。彼等はそれを知悉していた。途上、大村益次郎、大鳥圭介、福沢諭吉 など錚々たる人物を輩出した当時の私塾にも言及。「適塾」創始者・緒方洪庵が、居並ぶ英傑の中でも、橋本左内を「他日わが塾名を掲げん池中の蛤龍(こうろう)」と評し、別格の扱いをした事など話した。蛤龍とは、池に潜んでやがては龍となる機会をじっと待っている大物――という意味である。

 一例だが、勝海舟の「この世に怖い者を二人見た」という有名なセリフがあるが、「一人は西郷隆盛、一人が横井小楠」であることを会場の英国人が知ってい た事には驚ろいたものである。一体、現代の我国でこれを知っている国民がどのくらい居られるであろうか?「学」の深さに敬服しつつ、その西郷隆盛は「吾の 才学器識、逆立ちしても勝てない男が二人いる」と。それは誰か?聞いた。この質問には流石に回答なく、日本人として安堵の胸を撫で下ろしたものである。も し「一人は藤田東湖、一人は橋本左内」まで正解されたなら、乱暴な言い方をすれば、もはや国体の瓦解と言われても仕方がないほど。

 ロンドン大学聴講者達の幕末理解が深いので、途中をかなりスキップ。安政の大獄において、志士達が小塚原で斬刑に処される個所に及んだのである。今月十 月は左内、松陰とも没後百五十年の命日月。将軍家の試刀役で、左内や松陰など幕末の志士達の死刑執行をつとめた第七代・山田浅右衛門による介錯時の振舞に 触れた。「日本近世行刑史稿・上下巻」か何かで読んだのだが、斬刑直前の極限状態になると、人間は血圧や脈拍数など許容限界を超え、“眼が飛び出る” の形容があるように、医学的には体内の伝達物質であるアドレナリンが大量に出る。男性の場合、生殖器周辺が最も反応するようで、陰嚢(Scrotum)の 中にある精巣=睾丸(Testis)は海綿体球筋などの極度の萎縮で、周辺の筋肉が精巣を押し上げ、腹腔と呼ばれる体内に入ってしまう。これはストレス性の円形脱毛症のような無意識の反応と異なり、意識した反応。武士の死生観にはほど遠い「箱根の雲助」もどき犯罪人の多くが、精巣が体内に入る。これに対 し、天下国家を憂い、改革を志す左内や松陰のようなサムライは、二十代でも人間の器が桁違いなためか、精巣は自然状態の陰嚢にしっかり納まったまま端座し、一刃のもとに介錯された様子である。

 専門外の領域の上、個所が個所だけに英語の語彙を択んで話すのに大汗をかいた。介錯時の話は場内に緊張感が漂い、青眼のアングロサクソンは息を止めたよ うに瞬きもせず聞き入っている。拙い医学英語が通じているか、一度だけ聴衆に向かって聞いた。彼等は口が渇くのか首を深く「肯(がえん)じる」ことでやっと応えたのが 印象的であった。

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 講演終了後、日本人の倫理観、価値観について意見があった。会場には目頭を熱くした人、ハンカチを取り出す女性もおり、サムライの生き様や美意識に憧憬 と敬意のようなものが漂っている。質問が二つあった。「三島由紀夫の自決時はどうだったか?」及び「左内が日本最初の首相になっていたならば御国はもっと 違った国家になったのではないか?」
 このような難しい質問に回答できる素養はない。ただ「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というけれど、西洋では、行き詰まる度に十三~十五世紀のル ネッサンス期と十八世紀の啓蒙期の「学」に戻り、それを触媒として再出発をして来た様に思える。それに対し我国の歴史の「学」の浅さは如何ともしがたく、 縄文・弥生は程々に、せめて黒船開国期の思念と、大戦敗北期の「二つの学」はもっと深く深く研鑽し、大きな財産として後代に残すべきと愚感している。
(2009年10月「選択」)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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