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2014ヴェネチア・ビエンナーレ建築展 日本館のテーマは「倉」

2014ヴェネチア・ビエンナーレ建築展 日本館のテーマは「倉」  

日本の防水アーカイブの為に有るような展示テーマですね

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記者発表時の様子(中谷礼仁氏は欠席)撮影:相川健一
画像提供:国際交流基金

2年に1度開かれるヴェネチア・ビエンナーレ建築展では前回の2012年は、東日本大震災をテーマに建築の本質を問い直した伊東豊雄(72)らによる展示「みんなの家」が国別参加部門で最高の金獅子賞に選ばれた。

今回2014年ヴェネチア・ビエンナーレ建築展で日本館を主催する国際交流基金はそれを念頭に、指名した建築家や建築史家らが出した案から、太田案を選んだ。太田氏はコールハース氏が率いるシンクタンクで活動経験がある。太田氏は、建築史家の中谷礼仁(のりひと)・早稲田大教授や評論家の山形浩生氏、建築家の小林恵吾・早稲田大助教、建築史の本橋仁・早稲田大助手とビエンナーレに臨む

建築展のディレクターを務めるオランダの建築家レム・コールハース氏は、「ファンダメンタルズ」というテーマを掲げ、各国館に も過去100年の建築の変容を追求するよう求めた。

コールハースの求めたものは

「1914年であればそれぞれの国の建築について語ることに意味があったが、100年後の今日では、かつて土地との縁が深く、個性的だった建築が、どれも交換可能な、地球上どこでも同じものへ変容を遂げた。近代化を目指して、個々の国の独自性が犠 牲にされたように思われる。

今回は各国のパビリオン展示に一定の連携、一貫性が生まれることを期待し、参加国が共通のテーマに取り組み、その過程を各国それぞれで明らかにしてもらいたい。

太田案は日本館を倉に見立てた。模型や図面だけでなく、建築家の手帳や手紙、建築家の言葉が聞ける電話機も用意するという。アナログチックな手触りの良い展示になりそうだ。

太田が展示の中核に据えるのが1970年代。大阪万博後の石油危機の中で、日本の現代建築が世界に発信しようとした時代と位置づけるからで、「市場主義経済が進ん だ今、世界中で建築デザインが危機に陥っていることを意識した」(太田)。

防水の歴史・発展とピッタリ連動
1914(大正3年)は 日本の防水の起源を記した日本書紀をもとに「燃土燃水献上図」が画かれた年だ。そしてこの年、日本石油(現JX日鉱日石エネルギー)が「我が国の石油開発の歴史を後世に残す」という使命感のもとに編纂した名著「日本石油史」発行。防水分野では鉄道屋根用パーマネントルーフィング発明。そして東京駅、第1次世界大戦。日本の防水業界にとってまさに出発点といえる時代だ。さらに言えばこの年、大正博覧会が開催されている。小堀鞆音の「燃土燃水献上図」はこの日のために描かれた、そして展覧かには今のアスファルトルーフィングにつながる「便利瓦」が出展されている。

さらに太田が展示の核と位置づける1970年は、万博、アポロ。防水では各防水団体設立、東部アスアスファルトの施工ハンドブック、防水ジャーナル創刊など。防水材料開発・施工技術などが確かなものになってきた時代だ。

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100年ぶりに瓦がすべて降ろされ、防水用下葺きが露わになった正倉院正倉の屋根。(撮影:日本防水の歴史研究会)
サワラの土居葺が瓦の下で雨を防ぎ御物を守っている。太田が挑戦するのは現代の正倉院。        

最終審査で伊東豊雄を押さえて日本館のコミッショナーに選ばれた太田佳代子さんのコメント(アンダーラインはRN)

日本建築の近代化100年の歴史――これが2014年ヴェネチア建築ビエンナーレ日本館のテーマです。これは総合ディレクターから提示された共通テーマではありますが、100年の歴史を連続的・系統的にリサーチし、世界の人々に伝える、というのはありそうでなかった試みです。西洋を追いかけて急激な近代化を遂げた日本の、比類ない建築の物語を伝えること、そしてそこに生まれたすぐれた建築物や構想、つまり100年分の最強の日本建築を一堂に会すこと――それを可能とするまたとない機会であると、私たちは考えます。

日本館の建物は、日本建築100年の歴史が詰まった「倉」となります。この建物はル・コルビュジエに学んだ吉阪隆正の近代建築ですが、2014年は正倉院や高床式建築のような、アジア古来の倉のように構成されます。高床式の倉では生活と生産は地面の上で営まれ、収穫が高床に上げられ、保存されていました。日本館では、地面から持ち上げられた展示室が倉、下のピロティ空間が「現在と未来」を生成する発信や議論の場となります。ピロティでの収穫は上の倉に加えられ、展示がアップデートされていきます。

倉に足を踏み入れた観客は、100年の様々な場面から取り出されたモノ(物証)が所狭しと積んである光景を目にします。図面や模型だけでなく、建築家のスケッチや手帳、手紙、構造・設備の図面、建築の一部としてデザインされた家具、建築に大きな力や影響を与えた雑誌や書物、写真、取り壊された建築物の一部、建築や都市の心象を映し出した写真や絵画、建設工事の記録映像など、建築をその社会背景との関係のなかで、あるいは通常は割愛されるディテールとともに理解できるよう、多種多様のモノ(物証)を結集します。(そのため、現在様々な場所に分散する日本の近代建築アーカイブを繋ぎ、ビエンナーレを契機として体系化を図ります。)さらに、歴史上重要とマークした言説を「人の声」に変換し、耳で鑑賞できるようにします。

展示室の四つの壁には100年の各時代から選りすぐられた、最も力強く、建築の本質を表す建築を、これまた選りすぐりの写真や図面により展示します。床に積まれたモノはみな、壁にフィーチャーされた建築を物語る役割を果たすよう配置します。

最初に登場するのは70年代です。近代の吸収を60年代までに一通り成就した日本の建築家は、70年代に入って新しい展開をはじめます。未来のユートピアへの幻想が崩れ、身のまわりの社会に目が向きはじめた時、日本にとっての「近代性」と「歴史」を問い直しはじめたのです。日本においては、70年代にひとつの近代の原点を見ることができるのです。当時建築家が社会に問いかけ、提案したことはその後どう実現し、挫折し、今日まで継続されたか。歴史とは「今」のための旅――70年代の追体験から日本館の旅ははじまります。

2014年、ヴェネチア・ビエンナーレは初の試みとして、各ナショナルパビリオンが同一のテーマに取り組み、競い合います。この新機軸には世界の注目が集まるでしょう。この特別な回に日本建築の強さ、その歴史の深さを、余すところなく世界に伝えたいと考えます。

太田佳代子

選考にあたった水沢勉・神奈川県立近代美術館長は、「70年代を混沌(こんと ん)のままに捉えようとした実験精神にあふれたもの」と太田案を評した。
 

2013/10/12(土) 00:00:46|ARCHIVES|

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