資料第壱号「アスファルト及びその應用」
資料第壱号「アスファルト及びその應用」
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資料第壱号
アスファルト及びその應用(改訂増補版)その1
昭和30年初版発行。同34年の改訂版を経て、同40年改訂増補版発行。
発行:(社)アスファルト同業会
担当キュレーター:丸山 功
「防水工事に携わる技術者にとって、バイブルでした」
アスファルトとの出会い -1-
チーフキュレータ: 丸山 功
私が防水稼業に身を投じたのは、昭和30年代の初頭である。
勿論、防水のイロハから覚えなければならない。建設現場というのは、一般社会からかけ離れた雰囲気があり、何もかもが今までに体験したことのない場であって覚えることも慣れることも容易ではない。
今でこそ近代化が進み、ずいぶん一般社会と隔てがなくなってきたが当時は別世界の感があった。どうやら建設現場には慣れては来たものの、防水工事は専門業であり、施工の技術が必要である。実際に施工を行うのは職人さんたちだから、監督社員には必要なしと言いたい所だがそうは行かない。監督である以上施工する職人さん以上に知らなければ監督は務まらないことが追々分かってきた。それに社員は見積書を作る仕事がある。それには積算技術が必要だ。
先輩に訊けば、技術は人に教わるものではない。自分で覚えるもの、盗むものだという。何だか解らないが毎日現場へ行って職人のやることを見ているとどうやら建物への雨水の浸入から守るということが、おぼろげながら分かって来た。しかし頭で分かっても実際の感触が分からない。つまりそのためには材料のアスファルトの性状や製造過程が分からなければならないがカタログやパンフレットのようなものは、一切ない。今の人には信じられないだろうが本当のことである。そんな時、偶然出会ったのが社団法人アスファルト同業会発刊の「アスファルト及びその應用」という資料であった。内容は、きわめて学術性が高い内容で、最初のうちはさっぱり分からなかったが読んでいるうちに段々理解できるようになってきた。
初版は、昭和30年発刊版だがこれは防水より道路関係の内容の比重が高い。表題のとおり、アスファルト及びその応用となれば、道路と防水では、ダントツに道路が需要の主役である。内容が道路に偏るのは当然である。さらに(社)アスファルト同業会の構成メンバーは、アスファルトデイーラー及び工事やの集合体だったがアスファルトデイーラーは、日本石油はじめ大協石油(現在のコスモアス)丸善石油等の石油メーカーの代理店でアスファルト関連材料の販売やガソリンスタンドの経営などを主とした業務としていた。その構成メンバーの中に数社のアスファルトルーフイングのメーカーがいたが中でも田島応用化工(現、田島ルーフィング)と日新工業が双璧であった。
2009年10月6日 上野・東京文化会館のレストランで取材中の丸山さん
3つの序と目次
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アスファルトとの出会い -2-
社団法人アスファルト同業会第1回合同慰霊祭
昭和30年初版発行(写真中)
同34年の改訂版(同右)を経て、
同40年改訂増補版(同左)発行
発行:(社)アスファルト同業会
昭和30年初頭、防水に関するカタログやパンフレットのような印刷物は何一つない時代だった。しかも情報の流出を極端に警戒するあまり、社員に対しても社内資料の提供を制約していた。自社の技術に関するノウハウ?は勿論のこと、取引先や施工中の現場名もマル秘事項だし、社員の出先も部外秘、全てが企業秘密だった。これは当時の工事屋さんに多かれ少なかれ共通していたようである。
それならばということで、いくつかの現場の施工面積、納入材料,残材などの詳細な記録をとり、材料ごとの積算基礎を作成し、独自の積算法を作成したりして、当座をしのいだものである。「防水は体験技術だ」といわれる根拠の一端はここにある。
そんなあるとき、ふと目にしたのが「アスファルト及びその應用」というタイトルの分厚い本だった。まさしく干天の慈雨である。むさぼるように読んではみたがさっぱり解らない。防水1年生の手に負える代物ではなかった。横文字がやたらに多い。辞書と首っ引きで繰り返し読み返したものである。
アスファルトとの出会い -3-
余談ながら、この冊子の冒頭の「我が国のアスファルトの歴史」の部分で~日本書紀の文中に、今から1300年前、天智天皇の御世に越後から「燃ゆる水」と「燃ゆる土」の献上があり、「燃ゆる水」は石油で、「燃ゆる土」はアスファルトのことであろう。~との一説があった。この「燃ゆる水」と「燃ゆる土」の言葉に大いにロマンを感じ、太古の昔に想いを馳せたものである。
(編集部:「燃ゆる水」と「燃ゆる土」についての詳しいお話は、ルーフネット 日本書紀と天然アスファルト(瀝青)、日本書紀と天然アスファルト(瀝青) をご覧下さい。)
この技術書は、天然アスファルトと石油アスファルトの概論にはじまり、アスファルトの歴史、製造法、試験法、用途、応用工業と、応用工事等々、アスファルトの全てを網羅していた。半世紀を超えた現代にも活用し得る貴重な冊子であり、無論読破したものの、その内容はほとんど記憶に留めてはいない。
八重洲のアスファルト会館
しかし単に防水工事だけでなく、アスファルト工事全般にわたって詳述されていたことが、その後の現場管理に大いに役立ち、特に当時積算も管理も難しいとされ、兎も角敬遠されぎみだったアスファルト舗床や耐酸モルタルも苦にならず、むしろ時間の経過につれて、得意な分野として、社内では自他ともに許すまでに熟達することができた。それもこの冊子のおかげであり、いまでも私の防水人生の水先案内の役割のはたしてくれた、バイブルとも言える貴重な一冊であったと思っている。
「アスファルト及びその應用」目次、奥付
目次
奥付
動燃の報告書でも参考文献に
核施設の火災・を報じる新聞
「発行後56年も経たこんな本が役にたつのか」との問いに対する答えが、動燃=動力炉・核燃料開発事業団の報告者にある。1997年3月11日10時06分、茨城県東海村の核燃料サイクル開発機構(旧動燃)東海再処理施設のアスファルト固化処理施設で火災が発生した。新聞も大きく報道し、「火災」、「アスファルト」という見出しが多くの紙面を飛び交った。
この事故を受けて、3ヶ月後、核燃料開発事業団は「火災爆発の原因の検討について」という報告書が提出された。この 参考資料(3)として、市川良正「 アスファルトおよびその応用」(社)アスファルト同業会 が記されている。
発行者・市川良正さんのこと
田島栄一氏 田島ルーフィング㈱元代表取締役(故人)が語った市川良正氏。
~日本のアスファルト工業振興に偉大な足跡~
日本石油がブローンアス製造を開始したのが大正12年。市川良正氏は、東京大学卒業後、日本石油の技師としてアスファルトをはじめ、石油の研究に取り組み、昭和11年の工業化学雑誌にストレートおよびブローンアスファルトの製造に関して20あまりの研究論文を発表した。
田島栄一氏(写真上)は「この結果、日本のアスファルト防水材料が主な建築に用いられるようになった」、「日本のアスファルト工業が今あるのは、大正から昭和にかけての先生の研究の賜物であった」という。
このあたりの様子は月刊防水ジャーナル1986年6月号に投稿された田島氏の「市川良正先生を偲んで」に詳しい。昭和24年、アスファルトの販売店、メーカー、工事施工店が集まり、アスファルト同業会が結成され、市川氏は26年から58年まで会長を努めた。
キュレーター丸山功さんのこと
丸山功(まるやまいさお)氏。
厚労省担当官をして「見事な解散」と言わしめた、東部アスファルト工事業協同組合の解散業務を取り仕切った。
写真はその解散承認総会での挨拶。
新バ―レックス工営㈱取締役会長。昭和4年12月1日、東京生まれ。防水業界における同氏の位置づけを考えるとき、建設大臣表彰、中央職業能力開発協会会長感謝状、黄綬褒章受章、旭日双光章等を受賞した人と、いってもあまり意味がない。
社団法人全国防水工事業協会は設立当初から再重点事業として技能検定に対する積極的協力と協会独自の資格制度の実施をあげていた。平成10年に技能検定特別委員会が設置されると、丸山さんは委員長に就任、平成18年委員長を辞するまで、全防協における技能検定の最高責任者として活躍した。そして防水施工管理技術者認定制度管理委員会委員長として、同資格普及に多大な貢献をしている。と書いても不十分。
要するに、防水工事というものが建築工事の中で、ある確実な位置を占め、防水業界というものが形作られてきた時代を経験し、その中で悩み苦労してきた人。そんな時代に業界をリードした岩崎一、高山武と言ったサムライたちの鞄持ち(本人談)をしながら、社団法人全国防水工事業協会設立に奔走した人。防水工事の歴史、技能検定実施までの経緯、全防協設立までのあれこれ。そんなこんなを本を読まずに知りたければ、丸山さんに聞けばよい。そういう人である。
「アスファルト及びその應用」同業会名簿
当時のアスファルト供給会社(維持会員)、会員名簿、広告は貴重な資料。以下はその一部。
(画像をクリックすると、拡大します。)
- 維持会員名簿
- 会員名簿第1ページ
- 東京アスファルト工事業協同組合
- 関西アスファルト工事事業協同組合
社団法人 アスファルト同業会とは
昭和24年(社)アスファルト同業会結成。構成メンバーは、アスファルトデイーラー及び工事屋の集合体だったがアスファルトデイーラーは、日本石油はじめ大協石油(現在のコスモアス)、丸善石油等の石油メーカーの代理店でアスファルト関連材料の販売やガソリンスタンドの経営などを主とした業務としていた。その構成メンバーの中に数社のアスファルトルーフイングのメーカーがいたが、中でも田島応用化工(現、田島ルーフィング)と日新工業が双璧であった。
昭和24年(社)アスファルト同業会結成。構成メンバーは、アスファルトデイーラー及び工事屋の集合体だったが、アスファルトデイーラーは日本石油はじめ大協石油(現在のコスモアス)、丸善石油等の石油メーカーの代理店で、アスファルト関連材料の販売やガソリンスタンドの経営などを主とした業務としていた。その構成メンバーの中に数社のアスファルトルーフイングのメーカーがいたが、中でも田島応用化工(現、田島ルーフィング)と日新工業が双璧であった。
結成以来毎年、数回の座談会、防水材料の専門家による講演会などを開催した。昭和28年にはそれまでの成果をまとめ、冊子「アスファルト及びアスファルト防水」を発行し、好評を得た。
その後、会員は増加、アスファルト工事の需要は急増した。昭和30年、会員内から最新資料を織り込んだ本格的な防水をはじめとするアスファルト応用工事に関する書籍の発行を望む声が高まった。
以下は初版本の序文の一部である。
選ばれた編集委員は、いずれも日本の防水業界発展の基礎を築いた人達ですね。
「アスファルト及びその応用」初版序文より
「アスファルト及びその應用」目次、広告の一部
広告の一部
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資料第壱号「アスファルト及びその應用」編集後記
我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。それは防水業界にとって、また建築業界にとって貴重な歴 史資産であるにもかかわらず、残念ながらそんな資料を系統立てて整理する組織はもちろん、保管する場所すらないのが現状です。 心配なのは、これらの資料 の価値を理解出来る人が減り、その価値を語れる人はさらに少なくなっています。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文 献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資 料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説したい、という思いでスタートしました。
その第壱号資料が、「アスファルト及びその應用」でした。防水業界の生き字引、丸山功さんの全面的な協力のおかげで、とりあえずこの本の紹介は今回で終了。この書籍に込めた先人達の想いは熱いですね。今でもこの本が、行政機関の報告書に引用され、防水業界の社員教育に使われている事実によって、先人の想いは一部であったとしても、受け継がれているといえます。
これまでの内容を整理して、本サイト「ARCHIVES」のメニューの中に「防水歴史図書館 資料第壱号・アスファルト及びその應用ver.1.1」として残します。同時に「RN(ルーフネット)ブックレット」として、プリントアウトして見やすい形に編集してゆきます。
またこのコーナーには特に多くの読者の方から、ご意見や、資料のご提供をいただきます。それらは一定期間ごとに整理、再編集して、バージョンアップに反映し、最新の「RNブックレット」として取り出せるようにして行きます。
次号は、「日本アスファルト物語」「アスファルト防水のルーツを探ねて」、「田島ルーフィングのチャーミングな創始者」の伝記などの予定です。
ROOF-NET編集長 森田喜晴