「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年12月18日号(№76)

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2011年 師走しわす 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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モーセを救った防水材。同様の籠は日本にはないのか?

アスファルトと漆による「籃胎・らんたい」

モーセの籠-2

パピルスの籠(かご)を用意して、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦(あし)の茂みの間に置いた。こうしてモーセは防水材によって救われた。モーセを入れたこの籠とノアの巨大な方舟は同じことばで表わされているという。>>つづきを読む

今泉勝吉先生を偲ぶ会

城山先生-2

11月21日東京・竹橋のKKRホテル東京で、今泉勝吉・元建設省建築研究所調整官、工学院大学名誉教授を偲ぶ会が開催され、約100名が参加した。
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水コンペと「オキーフの家」

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2011「水コンぺ」~二人のアーティストの家~の講評より
日新工業の2011年「水コンペ」のある作品に対して、審査員の山本敏夫さんは‥>>つづきを読む

絵日記

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資料第参号「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」その4

ため息の出るくらいの大労作ですね。鶴田 裕キュレーター

鶴田裕(つるた ゆたか)さんは 防水をライフワークとする元大成建設の防水・仕上げ材料研究室長。停年退職後、防水メーカーに6年間勤務したあと、NPO建築技術支援協会(略称PSATS・サーツ)で技術アドバイザーとして、防水担当。今春まで裁判所の調停員を務めた。NPO匠リニューアル技術支援協会理事。

約25年前、中小超大手にかかわらず、ゼネコンの最大の問題点は漏水・雨漏りだった。各ゼネコン研究所も防水を最重点課題として、対策に全力投球した。会社の枠を超えた防水研究者同士の繋がりは強く、設計者、メーカー、工事店を巻き込んで、防水材料・技術の発展に大きく貢献した。鶴田さんはそうした防水研究者の中心メンバーの一人だった。

鶴田さんは「『あと10年か20年早くこの本が出版されていたらなー』と、ため息が出るような大労作であった。その日横浜からの帰途の1時間余りの電車内で、むさぼるように目を通した。神代の時代から、近代までのアスファルト防水のことを、よくぞここまで探り出したものと感嘆した。ため息がでた」と言った。その一つが探していた「国会議事堂」や地下鉄の防水仕様だった。今回は鶴田キュレーター自身の評価をお聞きした。

EF58青大将鶴田

EF58:昭和31年11月19日。 東海道線の全面電化が完成し、今まで使用していた茶色の客車を塗り替え、あっと驚かせた特急「つばめ」と「はと」。この写真は1カ月後のつばめが根府川の鉄橋を渡る姿を撮影した。鶴田さん自慢の1枚。(顔写真に替えて)

「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」と私

鶴田 裕

昭和59年の秋のある日、勤務先の横浜・戸塚のゼネコンの技術研究所まで、大手アスファルト防水メーカー、日新工業の営業マンが、立派な箱に入った200頁あまりの「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」という本(以下この本という)を届けてくださった。我が国での天然アスファルトの発見と発掘に始まり、防水材料の国産化開発の経緯、更には大正~昭和初頭にかけての有名建築物の防水仕様など、「あー、あと10年か20年早くこの本が出版されていたらなー」と、個人的にはため息が出るような大労作であった。その日横浜からの帰途の1時間余りの電車内で、むさぼるように目を通した。神代の時代から、近代までのアスファルト防水のことを、よくぞここまで探り出したものと感嘆した。
私は昭和35年にゼネコンの技研に入社したが、合成樹脂系材料をテーマに卒論や修論をまとめたので、我国に根付き始めたゴム系の防水材料を担当することになり、皇居・新宮殿に使用する合成樹脂系シート防水の性能評価や、東京オリンピックを控えての諸建物のカーテンウォール用のシーリング材とその納め方など、当時芝にあったアメリカ文化センター所蔵の諸文献を頼りに、“自習”するのが精一杯であった。ひと段落した昭和40年代初めになって遡ってアスファルト防水を学ぶという、歴史に逆らうようなステップで古を知ることとなった。
今回、編集長の森田氏からこの本の感想というか、ちょっとおこがましい言い方になるかもしれないが、私なりの評価をして欲しいとの依頼を受けた。アスファルトを緒口としてこの分野で成果を上げてこられた東京工業大学名誉教授の小池先生のような、この道の王道を歩まれてこられた方にお願いすべきと伝え、確かに私は仲介役を果たし、ルーフネット70号に小池先生による、抄録と総括が纏められ、これで私の責任を果たせたと安心した。それも束の間、私にも纏めろとの要求が編集長から届いた。そこで、前述の「あー、もっと早く出ていたら良かったのになー」ということに結びつきそうな話題を引っ張り出してみることにした。

1 秋田の天然アスファルトを採掘した場所でのこと。
昭和40年代の終わり頃だったと思うが、社内報を見ていると当時の仙台支店の建築技術室員が、竣工したばかりの秋田県立体育館の屋根に使用したゴムシート防水から雨漏りした事例の調査報告文が載っていた。屋根に上ってみたらパラペットの立ち上がり部分の下から10~15cmのところに無数の孔ができている。付近には魚の小骨が散らばっていることから烏と思い、早朝というよりも夜中の時間帯に多数の烏が休んでいることを突き止め、赤外線フィルム用いて写真撮影し、証拠を掴んだという苦労話であった。ゴムシートを烏の嘴で傷めつけられることは、今でこそ広く知られていることだが、その時は初耳だったので早速支店に電話をすると、それが縁で私も現地調査をすることになった。その時に案内してくれた県の担当者から、「この辺りは大昔に天然アスファルトを採掘したところで、その後は荒れ地になっていた所」との説明を受けた。結局ゴムシートを残したまま補修用の防水層を施工することになり、ゴムアスファルトの砂付きルーフィングを用いて熱工法で直した。確かにこの本を見ると、秋田県内にはそこらじゅうに天然アスファルトの採掘地があったことを地図で示しており、ゴムシートも元を辿れば自然に産する石油から作られているものの、古の歴史ある地に新建材を持ち込んだことに対する、天然材料の逆襲だと思った。

2 国会議事堂の改修時のこと
昭和55年頃のことと記憶するが、当時国会議事堂の大改修が計画されており、技研に応援を求める可能性があるので、関連文献を探しておいてほしいとの情報が届いた。大成建設の創業80年史に帝國議会議事堂の新築工事を担当したとの記載があったので、その準備に取り掛かったが、予想に反してこれはという記録類は見当たらず、施工業者についても不詳とか直営というような記載しか見当たらなかった。気が付いた時には大手のKゼネコンが改修施工をしていた。
改めてこの本を見ると、大蔵省営繕管財局編の帝國議会議事堂建築報告書(昭和13年)よりと記された第1回~第7回に分けた4年余りに亘る防水工事の概要が記されていたことにもびっくりさせられた。これには後日談がある。平成14年12月に、テレビ朝日報道局社会部の外報部記者を務め、外国の戦争やゲリラの取材経験豊富な秋庭俊氏が執筆した「帝都東京・隠された地下網の秘密」(㈱洋泉社)が出版された。鉄道マニアと自認する私にとっては、単に地下鉄建設に関わる不思議な話を読もうと楽しみで手にしただけだったが、よくもここまで調べたなと思うくらい大正時代から最近に至るまでの地下の“あなぐら”のことを列挙している。国会議事堂近くの地下鉄にまつわることの一つに、国会議事堂の建設を挙げている。引用した4冊の書名を挙げ、設計者は4冊が別々の設計者(うち1冊は大蔵省臨時議員建築局)の名前を、また施工者は1冊は不詳、他の3冊は書いていないと記している。更に読み進むと数十頁ほど先に、大蔵省営繕部の重鎮・下元連氏の「国会議事堂建築の話」に施工を担当したのは大倉組、つまり大成建設だとしている。三宅坂や市ヶ谷の兵舎に始まり、「その前の日本土木という社名時代には、今でも神話のように語られているように設計、土木、施工の粋を集め、国会や省庁に変わってプランを立てーーーー」とあり、昭和32年には国会図書館、霞が関~国会議事堂前の地下鉄、更には憲政会館、衆参両院の議長公邸、首都高三宅坂インターチェンジ、赤坂の迎賓館はすべて大倉組、現在の大成建設と記され、秋庭氏の言う地下構造物の不思議な話に結びつけて書かれている。既述のように本書は平成14年の発行なので、私はすでに第3の人生を歩んでるとはいえ、大成建設が何となしに責められている感があり、すっきりしなかったように記憶している。これも、あー、もっと早く出ていれば文献探しが一歩進んだのかもしれない。 

3.営団地下鉄 田原町駅の防水
平成の一桁時代の年と思うが、かつての古巣の土木部門から連絡があり、地下鉄銀座線の田原町駅の地上へ出る連絡口の一部改築工事を行っているが、アスファルト防水層が出てきている。興味があるかとのことで、早速出向き地下の外防水層をサンプリングし、昭和60年に終了した建設省の耐久性総プロ法に準じた方法で試験を行った。この本に記載されている楡井喜重氏に、ばったり新幹線の車内でお目に掛かり、ゆっくりお話を伺ったことが有った。私にとって最後の対面の機会であったが、東京の防水工事屋さんの多くが戦災を受けたために資料を失っているが、大倉が施工した最初の地下鉄、浅草~上野間の防水仕様書を持っているよとのこと。その後青焼きのコピーを頂いた。お目に掛かった時の記録がないが、私が新大阪から西行きの新幹線に乗ったら登場して程ない2階建ての電車の隣の座席だったので、山陽新幹線開通後のことになるが、岡山までは昭和47年、博多までは昭和50年開業なので、まだこの本が出る以前ではないかと思っている。

頁を繰っていて、僭越ながら自分との関わりばかりを書いてしまった。この本が発行されて程なく、同業者から「どの頁の何々はおかしいとか、何が抜け落ちているとか」の揚げ足取りのような話が耳に入った。私にとっては貴重な情報ばかりで、「よくぞここまでまとめあげた」が実感だった。
今あらためて読み返してみて、防水業界にとっての貴重な財産である。その後、少なくとも私の手元には、これを上回る集大成された、防水史は無い。


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

  • 主な収録項目

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