地元小学生も郷土史の勉強のために参加し質問する。
地元小学生も郷土史の勉強のために参加し質問する。
2015年7月1日 黒川燃水祭
カグマで採油し、桶に絞る。(シンクルトン記念公園の「臭水坪」で)
平成27年7月1日(水) 午前10時30分、新潟県胎内市下館のシンクルトン記念公園で、「黒川燃水祭」が開催された。
黒川燃水祭は、『越の国黒川臭水遺跡保存会』が、昭和62年から続けてきた。1,300余年前の故事に則り、毎年、天智天皇を祀る滋賀県大津市の近江神宮に献上する燃水を採油している。
燃水祭には天智天皇を祀る滋賀県の近江神宮から神官をはじめ石油開発業界、石油販売業界の代表が毎年参列するとともに、地元小学校児童も郷土史の勉強を兼ねて見学している。
当日は雨の中、白装束を身にまとった保存会メンバーが当時の採油方法や献上風景を再現して、「燃える土」と「燃える水」を担って黒川支社まで行列した。
地元小学生たちの質問に対して、石油関係者が、丁寧に回答する。今回はその様子を紹介する。
2015年7月1日 黒川燃水祭
最初の質問は黒川小学校6年のO君。
質問1:なぜ石油は「石の油」というのですか?
回答:JX日鉱日石開発(株) 山田 浩 中条油業所長
石油はみなさんの身近なところでは、灯油やガソリンといった燃料や、化学繊維やプラスチックの原料として使われています。石油はここシンクルトン記念公園のように地表に湧き出てくるものもあるが、一般的には地下数百メートルから数千メートルの地層から取り出すのが一般的でした。地下の石の中から取り出すので「石油」といいます。
私の会社は胎内市の村松浜という海岸近くにあります。そこで油田を掘っています。これは地下2,214mの石のサンプルです。小さな穴があいていて、そこに油がしみこんでいる。これは30年以上前のもので、色は白っぽくなっていますが、今でもまだ油の匂いはします。今から回しますから匂いを嗅いでみて下さい。
江戸時代は「臭水(くそうず)」と呼ばれていましたが、明治になって「石油」と呼ばれるようになりました。石油は英語ではペトロリウムといいます。「ペトロ」とは石、リウムは油。英語でも「石の油」というわけです。
質問2:石油には使用期限のようなものがありますか?
回答:国際石油開発帝石(株) 岩田尊夫 国内事業本部GM
精製された石油は、空気中の酸素によって酸化したり、空気中の水分が混じったり、揮発性の成分が抜けてしまったり、ゆっくりと変質してゆきます。変質のスピードは保管の仕方によって様々です。ですから特に使用期限が決められてはいません。
時間の経過によってしかし変質して、悪くなってゆくことは間違いありません。一般的には灯油やガソリンの使用期限は一半年くらいと言われています。
みなさんのうちでも灯油などは一冬で使い切ったほうがよいといえます。灯油は古くなると黄色っぽい色になり、火が着きにくくなったり、芯をいためる可能性があります。
原油は地下でできてから精製されるまで何百万年も眠っていました。新潟県の石油は数百万年前にできたもので、世界的にはもっと古い油もあります。
質問3 どのくらい掘れば、石油が出てくるのですか?
回答:石油資源開発(株) 武富 浩 長岡鉱業所地質部長
黒川油田では江戸時代までは、このように地上に浸み出しており、それを集めて使っていました。明治になって手掘りが始まりますが、黒川では昭和の15年から機械掘りが始まりました。100~200mの深さの井戸が125本あったそうです。
質問の間に旅の支度が整い、小学生たちの席の前を通って、献上行列が出発した。
当日の様子は、夕刻のNHKテレビニュースで放映されたほか、翌日の新潟日報にも報道された。
>>黒川燃水祭の詳細はルーフネット2015年7月16日 号(№253)、または平成27年 雨の黒川燃水祭を参照下さい。
2015/07/14(火) 01:40:22|「日本書紀と瀝青」|