「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年 2月25日 号

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2011年 如月きさらぎ 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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「日本アスファルト物語」

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二番手グループが見たアスファルト防水の全盛期
この本が書かれた理由
池田英一(いけだえいいち)明治44年、埼玉県蕨市生まれ。昭和4年田島応用化工入社。昭和18年独立し、日本瀝青工業所設立。日瀝化学工業創立35周年記念出版として、1981年「日本アスファルト物語」を出版した。
「田島武長氏、中西嘉三郎氏、佐久間栄吉氏、青盛繁男氏、浜野留吉氏、高山武雄氏、奥山岩吉氏、久保幸一氏、北川定信氏などアスファルトに詳しい方々が、すでに幽明境を異にしていた。」(あとがきより)
>>前書きと目次
>>後書き、年表、奥付け

火災の消火で漏水どころか天井まで落ちてきた・続

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防水改修工事と保険の話:事例⑤

防水専門保険代理店東京損害センター浅倉所長談
建築学的に火災事故をとらえた場合ですが、昨年発生したUR(旧住宅公団)の新築現場の火災事故ではURはRC構造の建物に火災による強度劣化が発生していないかどうかをコア抜き検査などで綿密に調査をしました…全文を読む

私たちが作りました。ドライバー40の物語

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どんなに時代が進み、技術が発達しようが、商品を最終的に届けるのはドライバーです
「読んでいくうちに、汗を流して笑っているドライバーの顔が浮かびました」という冊子の編集委員、物流部の高橋康子さん。持っているのが「ドライバー40の物語」。>>全文を読む

絵日記

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臭水の火災は中大兄皇子の教えで鎮火した。

近江神宮「志賀」が語る「燃水祭」5

近江神宮「志賀」第276号
臭水(くそうず=燃える水)の火災は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後の天智天皇)の教えで鎮火した。

志賀


これは大化4年のことと伝えられる。天智天皇は臭水の神を祀り、清砂を撒くことを教えた。黒川の村人が燃土燃水を献上したのは、これに対する感謝の念を捧げることで、即位を祝賀したという。

壷

近江神宮からは毎年「清砂」が送られてくる。これにこたえて燃土と燃水が奉献される。近江神宮から送られてきた清砂をためた壺。新潟県胎内市(黒川村)郷土文化伝習館にて。

平成3年度 近江神宮燃水祭

7月5日(金)午前11時斎行

秋七月 越国 燃土と燃水とを献る
(あきふみづき こしのくに もゆるつちともゆるみずとをたてまつる)

(日本書紀、天智天皇七年の条)

燃水祭と石油
『日本書紀』天智七年(六六八)の条に、
「秋七月、越国より燃ゆる土と燃ゆる水とを献る」
と記録される。「燃ゆる土」とは瀝青であり、「燃ゆる水」とは石油のことである。実にわが国文献における瀝青・石油の初見であった。(編集部注)
「越国」は、現在の新潟県北浦原郡黒川村であったといわれる。黒川村の由来は、昔、黒い川が流れる程、臭水(くそうず・原油)が湧き出したことによると伝えられている。
 同地方には、この臭水の原に落雷等によって火災が発生、村人が被害を被っていることを知られた中大兄皇子が、大化四年、使を出し、臭水の神を祭り、清砂を撒くことを教えられ、工事が行われ、火が鎮まったとの伝承もある。
天智天皇七年に村人が燃土燃水を奉献したのは、これに対する感謝の念を捧げることにより、御即位を祝賀したものという。
 近江神宮では、この由緒にちなみ、毎年七月、全国の石油関係者の参集のもとに燃水祭を斎行、産業社会の存立の母胎ともいうべき石油の祖神に感謝のまことを捧げる。これに先立って、新潟県黒川村臭水遺跡において、燃水祭・原油「採油の儀」が斎行され、同村より近江神宮大前に「燃水献上の儀」が執り行われている。
(平成3年7月1日「志賀」第276号)

編集部注 :「燃える土」の表現は瀝青の他にも石炭、泥炭とゆれています。この「志賀」の中でも、毎号異なります。今回は「石炭」でした。しかし混乱を避けるため「瀝青」と変更しました。理由は近江神宮広報誌「志賀」の発行責任者である吉田健一宮司は、平成2年の記事で、「燃土とは天然アスファルトのことである」と記しているからです。(日本防水の歴史研究会 Y.M.)

>>関連ページ : 日本書紀にみる防水の起源


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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