「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年12月25日 号(№77)

2011年12月25日 号(№77) 新月

2011年 師走しわす 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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防水工事の基幹技能者と施工管理技術者

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社団法人全国防水工事業協会から平成23年度「登録防水基幹技能者」の合格者と、平成23年度「登録防水基幹技能者」試験問題が発表されている。
今回の実施地区は広島と東京それぞれ57名、69名。氏名と問題は同協会のホームページで見ることができる。>>つづきを見る

屋上緑化の若手研究者が、最新の研究発表

特殊緑化会場-2

園芸療法、生物多様性とも繋がる屋上緑化。現場の最新研究話題に意見交換
屋上緑化の若手研究者による最新の研究発表12月9日、東京都千代田区岩本町の田島ルーフィング会議室を会場に行われた。今回の発表は10テーマ。キーワードは… >>つづきを読む

世界遺産 五箇山の民宿のおかみが、茅葺き屋根の雨仕舞を解説

五箇山-2

先月11月24日、NHKテレビの「あさいち」という早朝バラエティー番組で、世界遺産五箇山の合掌造りの茅葺き屋根の特集をしていました。民宿のおかみさんが、小屋裏を見せて「雨が降っても、降った雨がストローのように伝わって下に落ちないから、雨が漏らないんです。」と解説していました。>>つづきを読む

餅つきの朝

餅つきの朝2-2

集合住宅の維持管理。>>写真をみる

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資料第参号「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」その5

いよいよ「防水歴史図書館資料第3号「アスファルトルーフィングのルーツを探ねて」のエンディングである。

この写真は昭和初期にルーフィング市場に出回っていた各社の商品カタログ(見本帳の表紙)を米国人技師アレキサンダーが集めたものである。「舶来品」と国産品が激しい競争を繰り広げていた当時の状況が偲ばれる。

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そして同書の事実上の編集者小林清純氏のエピローグを転載する。ここに同氏が記念誌編纂に込めた想いが集約されているようだ。

エピローグ

「歴史はたんに事実の列挙でなく、現在にかかわりのある事実が歴史的事実である」という要旨を政治家であり歴史家でもあったE・H・カーは述べている。

この意味から、わが国のルーフィング事業の歴史を見直すとき、3つの大きな道標がある。

第1は、大正2年に中外アスファルト(株)がストレ―トアスファルトを生産、販売したこと。

第2に、日本建築紙工 (株)の設立によって米人技術者バーチスがルーフィングマシンを建設し 近代工業への脱皮が行なわれたこと。

そして第3に、佐久間パブコ工業株式会社の外資導入による会社設立である。

同社の設立は新しい業界の始動であったといってまちがいない。

当時、業界では国産品奨励の強化によって国産品が優先されたので、舶来品を扱う防水専業者は苦しい立場になってきた。同様に、外資系の企業も、わが国の商圏を失う状況に陥っていた。そうしたなかで、外資系企業ならびに防水専業者が打ち出した政策は、わが国のルーフィングメーカーと合併会社を設立し、商圏を確保することであった。外資系企業は国内の各企業に合併の意向を打診した。しかし、昭和初期の町工場にすぎないルーフィングメーカーが巨大な外資と提携するという冒険に踏み出すことはなかった。そのとき、決断を下したのが事業家佐久間栄吉である。

佐久間パブコ工業 (株)の設立によって、何が起きたのだろうか。

第1は、明治以来わが国の産業界の宿願であり、また氏の創業からの理念であった 「舶来品の防遏」を実現したわけである。具体的には、マルソイドとラバロイドの製造・販売は同社が掌握することとなった。それは同時に、舶来品を扱ういわゆる「防水専門業者」と同社が結集し、―大集団が結成されたことを意味する。現在、「施工業者とメーカーは車の両輪」といわれるが、この時期から施工業者とメーカーが相互に協力しあえる土壌がわが防水業界に確立したといえる。

また、国産メーカーに与えた影響をみれば、国産品「マルエス印ルーフィング」が舶来品と同等の評価を得たのだから、他の国産品の評価も向上したのである。関東大震災後の復興事業の小学校の仕様書にみられるように、このころから国産品の使用を主体にする仕様書に変更されている。同社の設立が、国産品優位を打ちたてたことはまちがいない。

だが、ここで見落としてならない事実がある。明治38年大阪瓦斯の本社ビルをマルソイドで施工していらい、高級な防水材の普及につとめ、職人の指導・養成を行ない、わが国のアスファルト防水の質的な向上を実現、定着させた藤原商店は、これを機に、防水業界から撤退した。時流の大きな転換期を告げるとしても、業界の優れたリーダーを失ったことは大きな損失であったといわねばならない。

このように、アスファルト防水の歴史は、舶来品と国産品との競合のなかで繰り広げられてきたのである。

現在ふたたび、昭和初期のアスファルト防水を見直すべき改修期にきている。それは、当時と現在とを結ぶ長い架け橋ともいえるので、最後にその―端を記して結びとしよう。

ここに東武鉄道(株)浅草駅松屋デパートの基骨材の写真がある。同店は昭和初期に建設された。それから約50年すぎた昭和58年に、陸屋根の改修工事を大和工業株式会社が施工した。
(参考として昭和初期の佐久間パブコ工業(株)の防水仕様書を巻末「資料ⅩⅠ」に掲載)

佐久間パブコ工業株式会社のカタログ(田原弘所蔵)
(※編集注:下の写真、左下の画像)

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改修時に採取した旧屋の防水層の仕様は、

マルエス印アスベストフェルト
マルエス印レーンフォースドルーフィング
エルエス印アスベストノーコルーフィング

の3枚貼り。溶剤で洗ってみたところ、骨材は52年経過しているというのにほとんど老化してはいない。この事実に、防水業者を始め建築関係者一同は目を見張った。
「どうだ!  俺がつくった『マルエス印ルーフィング』は50年たってもびくともしないだろう」――佐久間栄吉の声がきこえる。――

佐久間パブコ工業株式会社のその後の経緯にふれておこう。

昭和11年1月:佐久間パブコ工業株式会社の大阪支店にマルエス工業株式会社が合流する。

昭和13年7月: 佐久間パブコ工業 (株)を佐久間エ業株式会社とする。

昭和16年5月: 佐久間工業 (株)は休業とし、新興工業所となる。

昭和18年6月:現在の日新工業株式会社の発足。国内戦時体制強化にともない商工省より企業整備の勧奨を受け、佐久間工業 (株)、新興工業 (株)、(合)東洋製紙、東洋紙工 (株)、東京色紙 (株)、小林化学工業 (株)と合併して、大東紙工株式会社となる。

昭和19年4月:大東紙工 (株)は大東工業株式会社となり、戦後の昭和20年11月に日新工業株式会社と社名を改称した。現在、従業員は600名、創業時にルーフィングを製造していた敷地の前面に木社ビルを建設、加工部門は埼玉県春日部市に移転して埼玉工場と称し、ルーフィングほか各種の防水材を製造している。原紙は山形で製造し、埼玉工場ならびに北海道三笠市のルーフィング加工部門に送っている。その間、営業部門は九州、広島、名古屋、札幌、仙台に出張所を開設し、東京木社ならびに大阪支店を軸として全国的な営業網を完成した。そして昭和58年7月1日、創立40周年を迎える。


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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