「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2011年6月16日 号(№51)

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2011年 水無月みなづき 平成23年、昭和86年、大正100年、明治144年

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近江神宮から招待状が来ました

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近江神宮より日本防水の歴史研究会に「燃水祭」へのご招待がありました。
案内状に「燃える土とはアスファルト」になっています。防水業界からの強い要望に答えて下さいました。これは行かねば!つづきを読む

最近のチタン屋根に関する解りやすい情報

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主力の神社仏閣でコンスタントな需要。耐用年数100年を期してチタン瓦急増。
チタンが外装材として建築分野で使用されたのは1970年代だ。堅くて加工性性に劣る、変色するなどの問題点もクリアし、2000年以降安定した成長を続けている。>>つづきを読む

サンロイドDN シート防水出荷量は20%増

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「住ベ」が7月1日より防水シート内製化
6月2日、東京・品川の第一ホテル東京シーフォートでサンロイドDN工業会第26期通常総会開催。総会に先立ち、最近の施工事例を紹介。福井県勝山市恐竜の森で、恐竜の背中の縦曲面に施工された3.9KWのソーラー防水システムなどが報告された。>>続きを読む

Q&A 近江神宮HPトップになぜ防水専門サイトのバナーがあるの?

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近江神宮とルーフネット
Q: 近江神宮HPトップに、なぜ防水専門サイトのバナーがあるの?
A: それは、この方との関わりです。>>つづきを読む

絵日記

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最終講義

田中享二先生最終講義始まります。
お待たせしました。防水研究の第一人者、東京工業大学名誉教授 田中享二先生最終講義が始まります。
本当にたくさんの人たちから、催促されました。
最終講義は2011年3月9日(水)東京工業大学すずかけ台キャンパス すずかけホールで。15:30 受付開始、16:30 最終講義、18:00 謝恩会。

開演1時間まえから、たくさんの人が集まり。ホールは満席。謝恩会も大盛況。教室に会場を移しての2次会まで沢山の人でした。

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1 北大入学から東工大赴任まで

お忙しい中、こんなに多くの方に来ていただけるとは思ってもみませんでした。本当にありがとうございます。まず私がどうして建築の道に進んだかということから、話を始めたいと思います。

私は札幌で生まれて、札幌で育ちました。大学がそばにありましたから、北大に行きました。北大では、最初から専攻が決まっているわけではなく、まず理系希望者を理類という枠で、ざっくり取ります。ですから一年生の間はまだ専攻が決まっていません。当然自分が何をしたいのかが良くわかっていませんでしたので、うろうろしておりました。たまたま夏休みに、北海道開発庁という国交省の弟分のような組織でアルバイトの募集があり、これに応募しました。配属されたのが土木試験場でした。私は特殊土壌研究室というところで、土質試験を担当させられました。その時の室長さんは京都大学の土木を卒業された方でしたが、室長さんから「田中君、将来はどうするんだ?」と尋ねられました。「まだ決めていません」と答えますと、「土木は面白いぞ。君はあまり細かいことにこだわらない性格のようだから、土木に向いているのではないか」といわれました。そのとき初めて土木という分野のあることを知りました。

 二年生になりました。また北海道開発庁でアルバイトをしました。今度はダムの事業所でした。場所は雨竜という旭川から西の方の小さな町です。そこでは三つのダムの管理をしていました。これらのダムはコンクリートダムではなく、アースダムという農業用水を取るためのものです。そしてそこでの生活がいたく気に入りました。昼間はあまり忙しいこともなく、夕方はきっちり5時に終わり、夜は飲み会でした。寮に泊り込みでしたから、職住接近で遅刻することもなく、非常に楽しい生活を送らせていただきました。それで、「俺は土木に行くぞ」と決めました(会場笑)。

 いよいよ夏休みが終わり、いよいよ学科を決める段になりました。お袋に「土木に行く」と言いましたら、「それも良いけれども・・・」と話を切り出すのです。実は私の親類は大体が農家で、ただ一人を除いて大学に行ったひとはいません。そのひとりが北大を1番で卒業し当時の国鉄に入り、最後は本州四国連絡橋公団の理事になった叔父です。お袋は「お前は、私の子で勉強もあまり好きでないし、比較されるとみっともない。親類中の笑いものになるからそれだけはやめてくれ」と云うのです。わたしもそんなに強い意志があって、学科を決めたわけでもありませんので、似た学科はないかと次を探しました。そうすると建築が私のイメージしているものに近いことがわかりました。それで建築を選びました。

 そこまでは良かったのですが、建築学科に入りましたら、最近の建築志望の学生は「建築家になりたい」とか「デザイナーになりたい」、「構造設計者になりたい」という風に、しっかりとした目標をもっている人が多いのですが、当時の北大はそこまでではなかったものの、それでもコルビジェやミースがどうだとか、丹下、磯崎はどうだとか、さすがに丹下さんは知っていましたが、いろいろな建築家の名前がとびかっていて、もしかしたら選択を間違ったかなと、大変心配しました。それでも辛抱していますと、建築材料という若干高尚さには欠けるところもありますが(会場笑)、私の性格に合いそうな分野のあることも分かりましたので、建築の分野で生きてゆこうとやっと思ったわけです。そういうことで、りっぱな志をもって建築に入ったわけではありませんので、私の今日の話もそんな程度だと思って聞いていただければと思います。

 そのような理由で四年生の時、卒研生として「材料講座」に入れていただきました。北大材料講座の得意は、コンクリートの凍害です。鎌田英治先生というすばらしい先輩がいらっしゃいました。教授をされていた途中で亡くなられましたが、当時は博士課程の学生で、家が近かったせいもあり、私をとても可愛がってくださいました。ところがやる実験はコンクリートですので、実験室から泥のついた長靴でそのまま研究室に上がってきますから、すごく汚いのです。こんなに汚い作業を卒業研究に選ぶのはどうかと躊躇していました。たまたま小池先生という防水をやられている先生がいて、少しは小綺麗にみえたものですから(会場笑)、防水の研究室を選びました。

 そして4年生の卒業研究を終え、修士課程に入りました。修士二年になり、これから修士論文研究をがんばろうと思った矢先に、小池先生は東工大に転出してしまいました。そのため私は指導教官なしの、ひとりで修士論文を書く羽目に陥りました。小池先生も、さすがにそれではかわいそうと思ったらしく、就職先として、あるゼネコンの研究所に話をつけてくださいました。私も良かったと思い、そこの会社に行くつもりでおりました。しばらくして、小池先生から突然「助手のポストがある。手元が必要だから来い」との連絡が来ました。私は、基本的に勉強が好きなほうではありませんでしたし、人生設計で大学の先生になるということは一度も考えたことはありませんでしたので、これは困ったことになったと思いました。またお袋に相談するとろくなことにならないので(会場笑)、今度は弟に相談しました。私の実家の職業は靴の販売業です。弟は「親父の商売は俺が引き受けるから、兄貴は好きなことをやれよ」と言ってくれました。それで東工大に赴任することができたわけです。

 東工大に来てみて、結論から言うとすごく幸せでした。東工大は他所から来た人に対しても、非常に温かいというか分け隔てないというか、仕事をのびのびとやらせてくれました。これには本当に感謝しています。小池先生の上の先生は後藤一雄先生で、才能豊かですが何かを押し付けるということのない先生でしたので、自由に研究ができました。ということで防水にのめりこみ、気が付いたら40年立っていたというわけです。

 さて、本日は防水の二・三の話題ということで、厳選したつもりでしたが、準備してみたら4つになりました。お聞きになられる方は大変かと思いますが、お付き合いください。研究というのは調査や実験をして論文を書くのが主ですが、実は研究を通して学ぶことも多かったです。今日は研究と合わせてそのこともお話できたらと思っています。

>>続く

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「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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