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2012年1月31日 号(№82)

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2012年 睦月むつき 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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日本金属屋根協会新年会

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3年連続で田勢泰弘氏の政局講演会
元日経記者で、TV東京「週刊ニュース新書」メインキャスター田勢泰弘氏の今年の講演テーマは「野田政権と日本の危機」。
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テレビ放映のお知らせ

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テレビ放映のお知らせ NHK BSプレミアム
「茅葺き屋根が何故雨漏りしないのか?」
NHKの番組制作チームより、以下の通り放送日時の連絡が有りました。>>つづきを読む

本邦最初鉄筋コンクリート橋

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109年前のRC橋
明治維新で東京に都が移り、活気を失っていた京都の復興を目指して、明治18年(1885年)琵琶湖疏水の建設が始まり、明治23年(1890年)第一疏水が完成しました。>>つづきを読む

絵日記

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今でも「燃える土」は見ることができる その3

近代化産業遺産群として認定された豊川油田はNPO「豊川をヨイショする会」が管理しており、見学コースが設けられている。ルーフネットとしてはアスファルト関連の施設や地層にばかり注目してしまうが、「油田」の名の通り、コースのメインはポンピングぐパワーユニットだったり、パワーベルト小屋、採油井の櫓や試掘井跡、深掘井跡等の施設だ。今回はアスファルト採掘施設の話題から離れて、油田発見の様子を見ておきましょう。

東北石油

豊川油田の発見と原油・天然ガスの生産と操業の歴史

豊川油田の発見と操業の話(その1)

明治45年中外アスファルト社は綱式掘削機を購入して、掘削を開始したところ、大正2年深度413mで油層に遭遇した。これが豊川油田の発見である。この中外アスファルト社は社名を中外石油アスファルト(株)として掘削を継続して行き、大正6年には日産36klの原油を生産した。なお、同社は大正7年6月宝田石油に買収された。

この発見により、様々な石油会社がこの豊川地域に参入をしてきた。例えば、中野興業(株)、小倉石油(株)、日本石油(株)更に大日本石油鉱業(株)などである。

大正10年日本石油(株)と宝田石油(株)が合併し、豊川油田の大半は日本石油(株)によって操業された。この年には年産油量は87,000klと最高に達している。

摂政宮殿下(昭和天皇)豊川油田のご訪問の話

御召しトロッコ・豊川油田

御召しトロッコ(トロともいったそうだ)。このトロは昭和20年まで豊川小学校で保管されたが、終戦後焼却されたという。(写真提供:豊川油田展示室)

摂政宮殿下(昭和天皇)豊川油田のご訪問の話

大正14年(1923)10月16日摂政宮殿下はお召し列車で大久保駅に到着され、更にお召しトロッコにご乗車されて豊川油田をご訪問された。トロッコを下車されて、約700mの山道を登られ、標高54mの現在の「御野立所」にて豊川油田を一望され、日本石油(株)内藤社長から豊川油田についてご進講を受けられた。

その1年後に昭和の時代が始まった。
また、昭和6年8月20日に澄宮殿下(三笠宮崇仁)が豊川鉱場をご訪問されている。

散策地図

豊川―黒川間のトロッコ路線図が見える。廃線マニアにはたまらないだろう。(写真提供:豊川油田展示室)

豊川油田の原油・天然ガスの操業の話(その2)

昭和に入って、原油の生産量は減少を続けた。昭和8年には最盛期の四分の一の約2万klとなった。この原油の増産を目的に米国製ナチョナルポンピング装置が大正10年以降徐々に導入された。この装置の導入によって、豊川油田の丘陵地は約20ヶ所のポンピングパワー装置が設置され、そのワイヤーを繋ぐ踊り木と共に揺れ動くギーコ、ギーコと音が一晩中続いていた。

昭和17年日本石油(株)の操業は帝国石油(株)に変わった。戦時体制の強化のためであった。戦後になって、昭和31年8月この豊川油田の操業は帝国石油(株)から東北石油(株)に変わった。この年の生産量は約4000klであった。豊川油田に於ける記録上の総坑井数は716坑井であったが、この時点では採油坑井は222坑井であった。

昭和41年12月東北石油(株)は天然ガスを秋田市営ガス(株)へ販売を開始した。

東北石油(株)は平成13年(2001)に原油の生産を停止した。その前年の原油年生産量は約540klである。原油生産の開始から87年の歴史である。

現在、僅かな量の天然ガスを生産・販売している。

平成12年(2000)末までの原油の累積生産量は約128万klで、天然ガスは約3,600万m3とされる。

豊川油田 看板

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ポンピングパワーシステム。
モーターの回転を巨大なホイールとベルトで水平方向の動きに変える。

平成19年11月に豊川油田は経済産業省から近代化産業遺産群の「認定」を受けました。

「豊川油田」展示室・開設ガイドツアー資料(文責:佐々木 榮一)より


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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