「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年3月22日 号(№89)

2012年3月22日 号(№89) 新月

2012年 弥生やよい 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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東京のフェルメール展は3.14ホワイトデーまで

フェルメール展①-2

フェルメールと防水
アスファルトで防水された籠に入れられたモ-セ発見
今や空前のフェルメールブーム。ヨハネス・フェルメールは1632年、オランダに生まれた。フェルメールは傑作の背景にこの旧約聖書・出エジプト記「モーセ発見」を描いていた。>>つづきを読む

「同潤会大塚女子アパートの歴史から復興における住宅問題を考える」

講師:計画工房主宰 村上美奈子 氏-2

演題:「同潤会の歴史から 復興における住宅問題を考える」
【第124回研修会の開催概要】
講師:計画工房主宰 村上美奈子 氏
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中島路可(なかじまるか)

中島路可先生-2

「聖書の植物物語」、「聖書の中の科学」の著者
教会の会報に100回連載「聖書の中の化学と生物」を連載。このうち植物に関するテーマは「聖書の植物物語」として2000年4月、キリスト教系出版社ミルトス(243ページ)から出版されたが現在絶版。その他のテーマは、1999年、裳華房より「ポピュラー・サイエンス」シリーズの202巻「聖書の中の科学」(四六版218ページ。1,680円)として出版されている。
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絵日記

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近代化産業遺産「豊川油田」 その4

天然アスファルトマニアにして地質の専門家佐々木榮一さんの「天然アスファルト利用の産業史」。4回目の今回、いよいよ佳境に入ってきました。秋田の天然アスファルト=土瀝青は道路舗装、防水という大きな市場をターゲットに、採掘・生産の近代化が大きく進みます。
増大する需要に応えるため、黒澤利八は土瀝青の純度を高めた「万代石」を完成させます。豊川村はゴールドラッシュならぬブラックラッシュ=天然アスファルトの採掘で大変な活況を呈することになる。このあたりの様子は、佐々木さんによる豊川村の古老への聞き取り記録「豊川油田の思い出(写真)」に詳細に記録されている。

豊川油田の思いで
「豊川油田の思い出」

近代化産業遺産「豊川油田」

4.天然アスファルト(土瀝青・どれきせい)採掘と産業の歴史
②天然アスファルト(土瀝青)から「万代石」製品の誕生

図-10
図-10(図をクリックすると拡大します)

天然アスファルト(土瀝青)の新たな産業への応用は明治に入るまで動きはなかった。明治5年(1972)欧州に岩倉具視等と共に視察した東京府の知事由利公正(きみまさ)はロンドン市においてアスファルト舗装の状況を視察した。彼は東京における明治10年第一回内国勧業博覧会で秋田県豊川の黒澤家から天然アスファルト(土瀝青)原鉱を買い入れて、その会場においてアスファルト舗装を計画した。残念ながら、アスファルトが燃え上がる事故があったために実現出来なかった。なお、この博覧会に黒澤利八(平八)は土瀝青と抽出した灯火用品を展示している。由利公正(きみまさ)は翌年の明治11年東京神田の昌平橋で規模の小さい日本で初めてのアスファルト舗装(橋面舗装)を実施した。この工事のために黒澤利八から土瀝青の原鉱2百俵購入している。また、同年に由利公正は疎通社を創立し、アスファルト舗装事業の普及を行っている。

図-11
図-11(図をクリックすると拡大します)

土瀝青は道路や橋梁の舗装用敷材、防水や防湿の建築材としてその利用が多方面に広がり需要が次第に増大した。その当時の土瀝青の製品は粗末なもので、土瀝青の塊から草木や砂利等を取り除いた原鉱そのものでしかなかった。明治12年豊川の土瀝青採掘地を視察したドイツ技術者がアスファルトの精製法の技術書を提供してくれた。その本の翻訳後に黒澤利八(平八)はその技術を導入して新たな製品「万代石(まんだいせき)」(固形アスファルト製品)を完成させた(明治15年頃)。万代石は土瀝青の塊を数日間日光で乾かし、その塊を釜の中に入れて加熱し、夾雑物を除去する。溶けた土瀝青を成型に流し込んで製品にした幼稚なものであった。その製品は性状から3種類に区分されている。図-10は明治20年頃の万代石製造法の図であり、小屋の中にレンガ作りの3つの釜で土瀝青を溶解して、万代石を作る。図面は三方向から見た装置の形態を示している。図-11は現存する万代石で、明治40年代の製品と推定される。これは明治40年代の日本アスファルト工業(株)に続いた(資)「日本アスファルト工業所」の坂本勝美氏から提供を受けたものである。

図-12
図-12(図をクリックすると拡大します)

図-12は豊川油田地域における土瀝青の分布とその採掘地(推定)を示す。これまでの資料を基に筆者が作成したもので、6~7ヶ所において採掘され、採掘地のそれぞれの規模は明らかでないが、長径100m、深さ15mを超えるものがあったという。明治時代中頃までの土瀝青採掘は北部の保龍田・蘭戸下地区や龍毛後山地区及び鳥巻沢地区が中心であり、明治後半になってから真形尻地区の採掘が盛んとなったと推定される。

図-13
図-13(図をクリックすると拡大します)

図-13は豊川村の鳥巻沢地区における土瀝青採掘の様子(明治15年頃)を示している。

図-14
図-14(図をクリックすると拡大します)

図-15
図-15(図をクリックすると拡大します)

土瀝青の採掘と精製が最も活況を呈したのは明治30年代中頃以降であった。明治36年(1902)土瀝青が初めて独立とした鉱物として鉱業条例に編入された。最初に出願したのは広田万治、黒澤利八、鈴木農太朗、平野源次郎等総員98名に及ぶ大勢の権利者が存在し、鉱区の境界争いが続いた。そのためにその筆頭に広田万治がなり、その操業を平野源次郎が一手に引き受けて土瀝青の採掘を行った。当時の土瀝青採掘の様子を宮田松夫(1964)は「原鉱を掘る人夫達が狭い真形沢に集中したので、体と体が触れ合って身動き出来ない程一杯になる。手には唐クワやスコップを取って掘り出すもの、又は掘った原鉱をモッコに入れて運ぶものなど、人の右往左往する有様は、ありが獲物を持ってウロウロする姿に似て活況を呈したという。また、精錬のために原鉱を溶解する釜が40基も取り付けられ、その釜から煙がモクモクと空に舞い上がり、一面にたなびいてその周辺一帯が煙の林のようになって実に壮観であった。…後略」述べている。図-14は豊川村真形沢地区の土瀝青採掘現場の写真で2枚の写真を合わせたものである。明治30年頃の撮影と言われる。土瀝青の需要に追いつくために200人~300人程の多くの労務者が働いていたらしい。この写真の左奥に見えるのが黒澤家の家屋であり、その山の上に油煙山稲荷大明神神社が存在している。図-15はその一部を拡大した写真で、採掘業を携わる人々の姿である。それぞれの人達の役割は不明であるが、アスハルト穴原商會と書かれた法被(はっぴ)を着た作業員とその親方たちの容姿はこの事業が地域産業の中で最も盛大を極めた雰囲気をかもし出している。

図-16
図-16(図をクリックすると拡大します)

図-17
図-17(図をクリックすると拡大します)

一方で、土瀝青採掘中には様々なものが出土している。その一例が氷河時代のナウマンゾウ化石歯、旧猪の頭骨や鹿の角等で、その他に縄文時代の土器片が出土したことが報告されている。図-16はナウマンゾウの化石歯で、図-17は旧猪の頭骨の化石である。現在、秋田大学工学資源学部付属鉱業博物館において保管・展示されているが、どの採掘地で採取されたのかは不明である。また、藤岡一男(1983)は国立科学博物館において土瀝青から出土した動物化石を所蔵していると報告している。同館の記録簿によると明治39年1月豊川村槻木の広田庄三郎から寄贈された旧象歯化石と哺乳類の骨、更に同地域で明治38年8月採取された鯨骨化石の3個が記録されている。そして現在資料として残っているのは旧象化石1個のみであるという。

図-18
図-18(図をクリックすると拡大します)

図-18は藤森峰三が明治38年(1905)の東京人類学会誌に紹介した土瀝青採掘時に採取された遺物の一部である。土器が十数個、動物の骨が数個採取され、採取場所は水田の水面下一丈四五尺(約3m)程掘り下げたところとある。土瀝青の分布も同時に示してあり、図-12の真形尻地区から出土したと推定される。

図-19
図-19(図をクリックすると拡大します)

明治40年代に入って、いくつもアスファルト採掘会社が設立され、競争が激しくなってきた。明治40年(1907)土瀝青採掘会社としてアスファルト工業(株)と日本アスベスト会社のアスファルト部門が合併し、中外アスファルト(株)が設立された。他に日本アスファルト商会(後の日本アスファルト工業)の2社が中心となって豊川地域の本格的な天然アスファルト(土瀝青)の採掘・精錬事業が始った。アスファルトの用途は明治30年代後半から徐々に広がりを見せ、東京水道局の貯水池におけるアスファルト塗布の工事、工場や駅、軍の関連施設等の舗床工事、アスファルト瓦工事等が増加してきた。国道におけるアスファルト舗装も明治36年(1903)に始った。図-19は明治32年頃の東京市淀橋水道沈殿池のアスファルト塗布の状況を示す。

図-20 図-20-2
図-20(図をクリックすると拡大します)

明治40年頃の土瀝青製品は改良された精錬装置によってより純度の高い製品が得られる努力が行われている。中外アスファルト(株)の製法は以下のようであった。「野天堀りで採取した原鉱を一番株、二番株及び焚き株(燃料)に分け、一番株と二番株には、沼地などから採取した瀝油を少し加えて過熱溶解し、金網を使って粗大な不純物を取り除いただけのもので、その精錬装置も半円型の釜2枚を1組として、図-20のように複数配置するという極めて単純なものであった。焚口近くに溶解釜、その奥に乾燥釜を置き、天日乾燥した原鉱をまず乾燥釜に入れて余熱乾燥の後、溶解釜に移して加熱撹拌する。温度が上昇して流動状に達すると、原鉱に混入していた草根片は浮遊し、礫粒岩片、土塊等は沈殿するので、これを一分五厘目大の金網をもって除去する。原鉱の種類によって溶解点が異なるので、それぞれの溶解点まで加熱後、静かに放冷する。適温まで下がった時、木製の型に流し込み、凝固した後、木枠を取り外して品種名を刻印し、商標を付し商品として出荷した。その大きさは縦一尺七寸(約51cm)、横一尺(約30cm)、高さ六寸五分(約20cm)で、重量は十三貫五百匁(約50.6kg)前後である。1組の釜で1日当り五十貫前後を製造することが出来た。この製品を製造するためには重量にして約2倍の原鉱を必要とした」(「日本鋪道五十年史」より)。なお、製品としては「純良アスファルト」、「精製アスファルト」及び「BB印アスファルト」等の三種類が存在した。

図-21
図-21(図をクリックすると拡大します)

天然アスファルト(土瀝青)の生産量は明治40年頃までは年間300~500トンであったが、工業的な生産の増加により、3,000トン以上にまで達した。この生産量は明治42年の4,137トンをピークとして下降線をたどり、大正11年以降はほとんど採掘されなかった(図-21)。その理由は土瀝青の資源量が枯渇してきたことと、後述する豊川油田の発見に伴い、多量の原油生産により、原油の精製が増加し、特に大正8年以降は原油精製に伴う石油系アスファルトの著しい増加によるところが大きい。

図-22
図-22(図をクリックすると拡大します)

図-22は大正初めの頃の写真で天然アスファルトの採掘の光景を示すものである。

万代石
万代石

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「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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