「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年3月31日 号(№90)

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2012年 弥生やよい 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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いけいけマテリアル㈱ 物流部 部長 公平 進の奮闘記

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防水材を中心とする建築資材卸商社の最大手・化研マテリアル㈱の物流部 (坂本尚也部長)は2008年4月より、ニュースレター「明日に向かって走れ」を発刊している。>>つづきを読む

コンクリのひび割れを柔らかくしっかり埋める

ATS協議会2012総会懇親会-2

ATS協議会2012年総会と記念講演会
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地下50メートル!

地下電気鉄道-2

防水扉の先はドロマイト鉱石を運ぶ電気鉄道
地下50メートルのこの線路、台風や大雨の際には1メートル近く冠水する。貯鉱槽はさらに30メートル下だ。そこに水が溜まればくみ出すのはとても厄介なことになる。>>写真をみる

絵日記

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近代化産業遺産「豊川油田」 その5

屋根にアスファルトを塗っているという、防水業界にとっては貴重な明治時代の画です。

蓑虫山人:土瀝青を塗る図
蓑虫山人による「土瀝青を塗る図」(明治20年頃)

天然アスファルト研究家・佐々木榮一さんの「近代化産業遺産・豊川油田」その5、今回の目玉は何と言っても上の画でしょう。明治20年頃、放浪の画家。蓑虫山人(みのむしさんじん)によって画かれました。

放浪の画人として知られる蓑虫山人は、天保7年(1836)美濃国(岐阜県)安八郡結村生まれ。本名・土岐源吾、「蓑虫仙人」「三府七十六県庵主」「六十六庵主」とも称した。 嘉永2年(1849)14歳のとき以来、48年間にわたって諸国を放浪しました。

ふと窓の外を見ると、何たる偶然。明治20年頃と同じ作業を120年後の平成24年の今日、やっているではありませんか。道具も同じ。違うのは桶が缶になっただけ。
これはもう言葉は要りません。写真を並べるだけです。

屋根に塗る

近代化産業遺産「豊川油田」

③瀝油の採取の話

図-23
(図をクリックすると拡大します)

瀝油という言葉を御存知だろうか。瀝油malthaとは「黒色粘稠(ねんちゅう)の石油で、アスファルト基の石油が本来の油層から漏れて、大気にさらされ、アスファルト化の段階にある濃重粘稠の石油」である(大村一蔵、1934)。最近まで瀝油採取の事は知らなかった。この産業の存在を知るきっかけとなったのは一枚の写真との出会いである。図-23は「豊川村真形沢瀝油採取光景」の写真である。この写真は小藤文次郎(1856~1935)の資料として東京大学総合研究博物館に所蔵されていたもので、この他に豊川油田に関するものとしては図-14と同じ土瀝青採掘地の二枚の写真が存在する。小藤文次郎先生は明治・大正時代の日本の地質学、特に岩石学とテクトニクスの指導的な研究者の一人として知られている。明治18年から大正10年までの36年間東京大学の教授として多くの後継者を育てている。明治24年10月24日有名な濃尾地震が起きたときに早速現地を訪問して、詳細な調査を行い、根尾谷断層の生々しい写真を学会に発表したことでも有名である。先生は何故、豊川地域に興味を持ったのだろうか。石油地質学に興味を持ったのだろうか。私の勝手な推測は天然アスファルト(土瀝青)の産状に興味を持ったのではないかと考える。その理由は世界の大きな天然アスファルト鉱床、例えばトリニダッド島やヴェネズエラのバーミューズ湖等は大規模な断層に伴って形成されている事から、テクトニクスの研究の視点から興味をもったのではないかと想像する。豊川油田の天然アスファルトの産状は幾つかの断層運動に伴って形成されたものと推定され、更に豊川油田の原油の貯留層は割れ目(フラクチャー)が主であると考えられている。

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さて、瀝油の話に戻る。この写真を豊川真形地区の人に見てもらったところ、これは「突っ突き油」又は「屋根油(やねあぶら)」の採取の写真であると説明をしてくれた。現在、豊川油田を操業している東北石油(株)社長平野俊彦さんの祖父である平野夘一郎(1889~1971)は明治末頃から、この瀝油の採取をしていたという。写真の一帯は土瀝青を採取した跡と推定されるが、水没している。船に乗っている人たちは瀝油を採取するために竹の竿を水面下に下ろし、地面を突き刺しながら浮かんでくる瀝油を集めていた。各人の採取できる範囲は木や竹でそれぞれの境界の範囲を決めて作業を行っていた。この作業はこの地域に住んでいる農家の人々が農閑期に副業として行っていたという。採取した瀝油は屋根油と言われるように塗装に使われたらしい。図-24は前出の蓑虫山人による「土瀝青を塗る図」(明治20年頃)である。この絵では土瀝青となっているが、石油泥と俗称として書かれており、性質としては瀝油と同義語と考えられる。屋根などに塗るのは腐汚を防ぐために行うもので、塗ることで5~6年の差が出てくると記述している。

図-25
(図をクリックすると拡大します)

現在の真形地区の人達の話によると、この瀝油採取は昭和30年代初め頃まで続いていた。図-25は昭和25年頃の瀝油(屋根油)を集めドラム缶に入れ、当時のトロッコ車に載せて運び出す様子の写真で、真形沢の平野家の前で撮影された。この作業は農家にとって大事な副収入であった。

5.豊川油田における天然アスファルト採掘地跡の産業遺産

図-26
(図をクリックすると拡大します)

豊川油田地域における天然アスファルト利用の産業の歴史を述べてきた。しかし、その足跡の保存状態は非常に寂しい限りである。今回の近代化産業遺産の認定の対象として真形尻地区の2ヶ所の土瀝青採掘(図-26)と鳥巻沢地区の跡地を申請し、認可を受けた。残された地域の保存は私達の課題である。

図-27
(図をクリックすると拡大します)

一方で、この豊川油田地域には天然アスファルトに関する自然遺産が存在している。図-11の保龍田・蘭戸下地区では段丘堆積物に天然アスファルトが充填しているアスファルト層が広がっている。また、真形尻地区では丘陵地を形成している船川層(約600万年前に海底に堆積した地層)の泥岩の割れ目には瀝油又はアスファルト状のものが数多く観察できる(図-27)。これらの地質遺産を今後の地域資産として活用を進めて行きたいと考えている。

〈謝辞〉
本文を上梓するにあたって、多くの方々から御意見、資料の提供を受け、更に文献からの引用をさせていただきました。ここに厚く御礼を申し上げます。また、本文にて掲載した写真を提供して頂きました東京大学総合研究博物館様、秋田大学工学資源部付属鉱業博物館様、潟上市教育委員会、黒澤耕造様、平野修悦様、鈴木整様に御礼申し上げます。

画像の説明
(図をクリックすると拡大します)

〈参考・引用文献〉

  1. 石川理紀之助 (1898) : 豊川村適産調総覧
  2. 藤森峰三 (1905) : 秋田県下に於いて土瀝青と共に発見される化石及び土器 東京人類学雑誌 第234号
  3. 大村一蔵 (1934) : 石油地質学通論 岩波書店
  4. 宮田松夫 (1964) : 平野源次郎とアスファルト事業 平野源次郎事跡顕彰会
  5. 佐々木房生 (1975) : 黒沢利八「あきた」Vol.16、No.3
  6. 石井忠吉他 (1981) : 蓑虫山人全国周遊絵日記「秋田編」
  7. 藤岡一男 (1983) : 秋田の油田 秋田魁新報社
  8. 日新工業(株) (1984) : アスファルトルーフィングのルーツを訪ねて 日新工業創立40周年記念誌
  9. 日本鋪道(株) (1985) : 日本鋪道五十年史
  10. 高安泰助 (1985) : 豊川油田と槻木のナウマン象 秋田大学鉱業博物館 13号
  11. 佐々木榮一 (2006) : 「豊川油田の歴史と産業・文化遺産」展を振り返って 石油開発時報 No.150
  12. 佐々木榮一 (2008) : 「豊川油田の思い出」 天然ガス No.2

「近代化産業遺産『豊川油田』」 最終回の準備をしていたら、佐々木さんより、続編が届きました。

経済産業省による近代化産業遺産の「認定」を受けた《近代化産業遺産 『豊川油田』―その2》です。天然アスファルト研究者佐々木榮一さんの次の記事は「豊川油田の発見と開発・生産の操業の歴史―」です。

豊川油田は平成19年11月30日に経済産業省から近代化産業遺産の「認定」を受けました。ルーフネット89号までは近代化産業遺産の意義と認定にいたるまでの経緯、そして近代化産業遺産の認定を受けた豊川抽田の特徴の1つである「天然アスファルト利用の産業史」を述べていました。

続編では豊川油田の発見から、開発・生産の操業の歴史及び油田の特徴が紹介されます。豊川油田は秋田県のほぼ中部の潟上市と秋田市に位置し、大正2年の発見から既に96年を経た現在も僅かな量の天然ガスを生産していますが、油田の閉鎖は間近です。

続編の掲載をお楽しみに。

>>近代化産業遺産「豊川油田」全文を読む


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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