「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年10月15日 号(№117)

2012年10月15日 号(№117) 新月

2012年 神無月かんなづき 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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正倉院の防水用屋根下ルーフィングはサワラの土居葺

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百年経ってもほぼ健全
約100年ぶりの修理が進む奈良市の国・正倉院正倉の屋根瓦の下地について、宮内庁は9月11日、大正時代に瓦を全面的に新調した西側で腐食が進んでいたと発表した。天平時代の瓦を残していた東側は傷みが少なかった。宮内庁は「大正の瓦の焼きが甘く、湿気がこもりやすく蒸れ腐りの状態だった」と分析しており、西側の瓦を新たに制作して葺く。>>つづきを読む

ツタンカーメンと防水の接点 ③

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チュウヤのカノポス厨子
ミイラの内臓の容器は金と瀝青(アスファルト)で飾られた
アメンヘテプ3世の治世(紀元前1410-1372年)、新王国時代第18王朝。テーベのルクソール王家の谷、イウヤとチュウヤの墓で発見された。>>つづきを読む

平成23年中にサッカーコート 34面分の屋上が緑化整備

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壁面緑化は単年施工面積で、過去最高
国土交通省は10月1日、平成23年 全国屋上・壁面緑化施工実績調査結果を発表した。調査の結果、壁面緑化の単年施工面積で、平成23年は過去最高になった。概要は次の通り。
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「板金いま、むかし」ルーフネットで転載中。

kamoshita 東京駅
工事中の東京駅銅板屋根工事
(写真は記事と直接関係があるものではありません)

明治40年生まれの銅板屋根職人の鴨下松五郎さんへの貴重なインタビュー記録の2回目。社団法人日本金属屋根協会が機関誌「施工と管理」に連載した記事の転載。日本金属屋根協会は平成7年から4回にわたって、名高い銅錺師(かざりし)鴨下松五郎さんのインタビューを機関誌「施工と管理」に掲載した。

愛板
(画像をクリックすると拡大します)

 愛知県板金工業組合機関紙「愛板」第205号(昭和62年4月15日号)に、当時解体修復工事が行われていた旧名古屋高等裁判所銅板工事現場を訪問した東京都板銅屋根研究会メンバー19名のことが掲載されており、鴨下さんに関する記述もある。

旧名古屋高等裁判所s

 同紙によると旧名古屋高裁の工事を担当したのは岡崎の㈲高柳板金工業。元青年部長であった高柳一男氏が一行を現場に案内し、ハゼや材料の大きさ等を説明した。建物は大正11年に建設されたもので、板金工事で分からない部分も多かったそうだ。現場を見ながら、鴨下氏がいろいろと解説したようだ。「愛板」はその様子を次のように記している。「東京では名高い銅錺師鴨下松五郎氏(88歳)の説明には聞き入るところがありました。聞けば東京の迎賓館も同じような施工がしてあるそうです。」

板金いま、むかし -鴨下松五郎氏に聞く- ②

ならし屋

 当時の銅板はとにかく「ひずみ」が多かったですね。買ってきてすぐの物でも、一方の角を押すと反対側の角が上がってしまう。そういう「デコボコ」の板でした。こんな板を使いますと、例えば「流し」などにすぐに水が溜ってしまいます。使いものにならないような奴でしたね。そういう物が正式に売られていました。

 仕事によっては、……この仕事は関東大震災直後にやったものですが……日本家屋の「ひとみ」、鴨居の大きいやつですね、それとその両側の柱に銅板を張る場合などはどうしても平らな物が必要になる。その時は「ならし屋」さんに頼みました。板を均して、平らにするのを専門に扱っていた所です。今の岩本町あたりにありまして、5人か6人職人さんがいました。

 これはすごい技術でした。板を置きまして叩くんですが、見ておりますと関係のない「あさって」のほうを叩くんです。とんでもない所を叩くんですが、板がスーッと平らになっちゃう。勿論「槌」の跡は付きますが、それは見事でしたね。技術とはこういうものだ
と思いました。

銅板は昔のほうが丈夫?

 それと長さの足りない板が多かったですね。巾は割合と正確なんですが、長さが4尺といっても一分ぐらい詰まっていたりとか。それと角が「矩(カネ)」(直角)になっていない銅板も多かったです。昔の板金屋は「差し金」は使っていませんでした。「竹尺」でしたから「矩」を見るのは銅板なんです。銅板で「矩」を見て、それから切っていきました。その時にもとの銅板がズレているととんでもないものが出来上がるわけです。これも困りましたね。折って張っていくうちに曲がってきちゃいます(笑い)。

 今の技術では信じられないのですが、そういう物が現在も出回っています,1ケース全部違っているようなこともあります。今は機械がいいですから銅板の寸法が多少違っていても、それなりに折れてしまいます。ですから葺く時に正確にズレて行きます。今の人は材料の寸法が違っているとは思ってもいませんから、葺き上げてみて「おかしいなあ」と思うぐらいかも知れませんが、気を付けたほうがいいと思います。

 ただ、銅板そのものは今より丈夫だった感じがします。今の銅板は、銅の成分が99.9……%という格好で、不純物をほとんど抜いてしまっていますが、昔の銅板は金や銀といった不純物を含んでいました。素人考えですが、私はそういう銅板のほうが屋根などの使った場合、丈夫なんじゃないかと思っています。勿論今は酸性雨とか大気汚染とかあり、銅板だけの理由で腐食するわけではないんですが……。湯島の天神さんなども100年以上たってますし、そういう古いものを見てきた実感ですね。

 もっとも、そういう銅としては少し不純な物を作ってもらおうと思っても、私ら板金の世界で使う銅の量など、電気やその他の世界から見ると微々たるものですから、難しいでしょうが。

下地と下葺きが大切

 銅板の世界では日光の東照宮とかが古い物としては有名ですが、板金屋にとって技術的に見るべきものはあまりないですね。結局、中国瓦と同じで∪、∩の板を並べていくだけですから。古い銅板の屋根を剥がして見たことも何回かありますが、ほとんど切りっぱなしです。技術的にはどうってことありません。

 ただ、下葺きはすごいですね。全て檜の「トントン葺き」です。安いのは「どうがえし」といって重ねの少ない方法…重ねが板の長さの半分ぐらい…を使っていましたが……。「トントン葺き」の重ねのところが板の長さの2/3ぐらい重ねていました。これだけでも50年、60年持つような感じですね。その上に銅板を葺いていくわけですから、ハゼを使わず重ねてやったって漏らないし、今でも持っているものが多いんです。水は確実に浸透していると思いますが、下葺きがいいので今まで持っていると考えています。

 東京近辺ではハゼのやり方で、「つかみ込み」と「切り子」があります。私に言わせりゃ、どちらでもいいんです。ハゼなんてものは、どちらにしろ穴だらけのものですから水は入ってきます。自分のいいと思ったやり方をすればいいんです。勾配が速ければ「つかみ込み」でも「切り子」でも水は入りませんが、勾配がのろくて雨量が多ければ水が浸透するのは当たり前。ですから屋根というのは漏るものだと思って下葺きに重点を置かなければ駄目です。

泥なまし

 少し話がずれましたが、銅板というのは非常に使い道が良い材料なんです。昔目黒に軍隊の火薬庫がありまして、その仕事を受けたことがあります。窓の縁を全部銅板で巻く仕事です。鉄は釘を含めて一切使ってはいけないんです。鉄は火が出ることが多いというわけです。金槌で打っても火花が出るぐらいですから、事故につながるということだったんでしょうね。釘も当然、銅鋲です。

 銅鋲では神田の「鋲定(びょうさだ)」さんでしたね。これは古いお店で、私らの子供じぶんからありました。今でもあります。今の判子を売っているような回転する箱がありまして、その中に鋲が入っていました。小学校に行っているときなんか、親父に随分買いに行かされました。この箱は今でも「鋲定」さんに置いてあります。

 銅板は高いですから、普通の人ではなかなか使えないんです。そういう材料ですから、屋根から剥がした物も再利用してました。その時は「泥なまし」というやり方をしてました。正しくは「泥塩なまし」と言っていたかもしれませんが、職人は「泥なまし」と言ってました。昔の人は良く考えたと思いますが、泥1升に塩を同じく1升混ぜまして、それを銅板に塗ります。その銅板を火の中に.放り込むわけです。塩気があるからきれいになるのだろうと考えたのでしようかね。つまり「なます」のなら少しでも銅板をきれいにしようとしたんでしょうね。

 火から出しまして塩と泥を洗うと色はきれいになっていました。そして「四すみ」を切りまして、また屋根に張っていきました。

(つづく)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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