「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年11月20日 号(№122)

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2012年 霜月しもつき 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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シーリングの性能設計でシンポ

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建築学会が外壁接合部の目地設計案・性能評価試験案で意見交換

簡単には壊せない建物。シーリング材は現行の一律10年の耐用年数設定でいいのか。>>つづきを読む

都市における熱環境に関する最新の研究事例

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建築学会が16日(金)に第42回熱シンポジウム
『将来の建築・都市熱環境とくらし』
主催: 日本建築学会 環境工学委員会 熱環境運営委員会
日程: 2012年 11月16日(金)13:30~17:30、
          17日(土)9:30~17:30
会場: 建築会館ホール(東京都港区芝5-26-20)
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むべ 近江神宮に献納

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11月7日(旧暦長月二十四日)は「立冬」
近江神宮では天智天皇の故事にちなんで「ムベ」が献納されます。
昨日は寒かった。むべなるかな 今日は立冬
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絵日記

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新着ニュース

2012/11/18 第39回水コンペ。1等は水野・越後組new
2012/11/17 銅センター広報誌が東京駅屋根工事を特集new
2012/11/14 黒門の瓦屋根と表慶館の銅板ドーム屋根new
2012/11/14 大根の芽new
2012/11/13 シーリングの性能設計でシンポ
2012/11/13 秋は今日まで。
2012/11/11 鶴川絵日記 茶畑上空
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2012/11/07 むべ 近江神宮に献納
2012/11/04 桧皮葺に銅の樋
2012/11/01 スカイツリーのシーリング
2012/10/31 耐火・耐風、外壁の品質向上などへの取り組み報告
2012/10/29 長月十五日。黒川(多摩)の月
2012/10/29 建築学会が「陶磁器タイル張り工事」改定で追加講習会
2012/10/30 ツタンカーメン展と防水の接点
2012/10/24 少しずつ瓦がのっています
2012/10/23 ライト様式のテラコッタにも触れます
2012/10/23 「霜降」の朝、「武相荘」の森にかかった虹
2012/10/20 深川不動尊の銅板屋根
2012/10/18 樹齢100年の禅寺丸と茅葺き屋根
2012/10/17 防水材料別施工実績(JWMA発表2012年上半期)
2012/10/15 平成24年度 建設マスター顕彰
2012/10/12 UR都市機構 10.30に研究報告会
2012/10/11 秋の銀座 夜の紅葉
2012/10/11 京都府庁旧本館
2012/10/08 伊勢神宮 正殿の茅葺き屋根
2012/10/08 「板金いま、むかし」ルーフネットで転載中。
2012/10/06 屋根が無いから、屋根のことを考える
2012/10/05 正倉院の防水用屋根下ルーフィングはサワラの土居葺
2012/10/04 ツタンカーメンと防水の接点 ③
2012/10/02 平成23年中にサッカーコート 34面分の屋上が緑化整備
2012/10/01 正倉院正倉の校倉(あぜくら)
2012/09/30 「板金いま、むかし」ルーフネットで連載開始。
2012/09/28 十三夜
2012/09/28 正倉院正倉の軒先から東大寺と興福寺を見る
2012/09/26 関東防水管理事業協組総会
2012/09/23 ツタンカーメンと防水の接点 ②
2012/09/23 リフォーム&インテリアショー
2012/09/22 確かに東北新幹線は東京駅からでている

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お店(たな)と出入り職人の阿吽の呼吸

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「お店へ買い出し」といっても商店街やデパートの「おみせ」に買い物に行くわけではない。「お店(おたな)」へ緊急援助を請うため、仕事をもらいに行くことである。広辞苑では「おたな(御店):奉公人や出入りの職人などがその商家を敬ってよぶ称」とある。「お店場」は「旦那場」ともいう。大辞林で「旦那場」を引くと「商人・職人などが得意先をいう語。「旦那筋」と解説している。鴨下さんの「お店場(おたなば)」は仕事が無くなった職人が「ここんところ具合が悪いから直させて下さい」とお願いに行くところであり「そうだね直していいよ」と発注してくれるところだ。次回の話は「お店」で出る「そば」の話や「印半纏の糸代」など。落語の世界そのままである。

今回の連載読み物は、明治生まれの銅板屋根職人・鴨下松五郎さんへの貴重なインタビュー記録の7回目。社団法人日本金属屋根協会が機関誌「施工と管理」に連載した記事の転載です。日本金属屋根協会は平成7年から4回にわたって、名高い銅錺師(どうかざりし)鴨下松五郎さんのインタビューを機関誌「施工と管理」に掲載しました。聞き手は現広報委員長の大江源一さん(大江金属工業社長)です。

板金いま、むかし -鴨下松五郎氏に聞く- ⑦

「お店」へ買い出し

 今はなくなっちゃいましたが「お店場(おたなば)」とか「旦那場(だんなば)」という仕事の世界の話しもしておきましょうか。
 「お店場」という世界は簡単に説明すると、仕事が無くなるとね「買い出し」といって「お店(たな)」に行って「ここんところ具合が悪いから直さして下さい」と言う。そうすると「そうだね直していいよ」となる。それだけで仕事が貰えるんです。
 施主から直に仕事をもらう恰好なんですが、「お店」は板金屋だけでなく畳屋、庭師、経師屋……と色々な職人さんを抱えていた。そういう人達を絶えずそばにおいておく、ということに誇りを持っていたように思えます。出入りの職人には「はんてん」を配る。その「はんてん」を着ていけば、その家の人間のような顔をして「奥」だってどこだって入って行けました。正月前になると、勝手に職人達がやって来て襖を替えたり、畳を替えたりしていく。職人達が自分達で段取りをしてやってしまいます。そういう世界です。
 お金もさっきの「どんぶり勘定」でも文句を言わずにきちんと払ってくれる。ただ「どんぶり勘定」だから、その値段が「お店」にとって高かったかというと、そうでもなかったと思います。今のように間に他の業者が入りませんからね。
 そういういい場所があったから、職人も腕によりをかけていいものを作った。本当に仕事が無くなれば、それこそ庭掃除にでも行く。そうすると、その日の日当と三度の御飯が食べられる。そこまで「お店」が面倒を見てくれるわけですから、職人も念入りに仕事をします。

蕎麦二枚

 うちの親父なんか、ある「お店」に仕事をしに行っているとするでしょ。お昼になると別の「お店」に御飯のおかずを見に行くんです。おかずがいいと仕事もしていないのに別の「お店」に御飯を食べに行っちゃう(笑い)。私が「仕事もしていないのに」なんて言うと、「仕事なんてなくてもいいんだよ。おかずは向こうがいいから」って、4、5人自分のところの職人を連れて食べに行く。「お店」のほうも「ご苦労さん」なんて感じで当り前のように食べさしてくれる(笑い)。お店によっては「1」と「6」の日には、必ずお酒を出してくれるところがありました。お勝手に鏡を抜いた樽が置いてあって自由飲めるようになっている。当然のように「ありがとうございます」です(笑い)。
 そのかわり風が吹いたとか、近所に火事があったとなると職人はみんな手伝いに行きました。大晦日には「立番」をしてお客の荷物を預かったりして、夜中の2時頃までお勤めをする。
 昔は3時になると蕎麦が出されました。どういうわけか蕎麦は必ず2枚でしたね。煎餅なんか出てくると「四分板(しぶいた)なんか出しやがって」と職人は悪口を言うんですよ。じゃあ、その蕎麦を食べるかというと、お酒を飲む職人は「帰ってからの一杯がまずくなる」って食べない。それでもって出された蕎麦を残して帰るのも嫌なんです。勝手なもんです(笑い)。
 でどうなるかというと「小僧」に食べさせることになる。「小僧」だってそんなに沢山は食えませんが、「蕎麦は座った分(高さ)だけ食える」なんて言われました。一度親父に「どうして蕎麦は座った分だけ食えるのか」と聞いたんです。そしたら「蕎麦ってのは行儀がいいからスーッと縦に体のなかに入っていくんだ」(笑い)。そんなわけありませんよ。

糸代

 「はんてん」を戴く場合も「はんてん」に作ってくれる所と反物でくれる所がありました。反物の場合は必ず「糸代」といって2円とか3円付けてもらいました。「糸代」で付け加えると、芸者さんなんか呼んで遊ぶこともあったんですが、その時に今で言うチップをご祝儀として渡すと大きな金額を渡さなければいけませんし、自分だけ出すのは一緒にいる人にも失礼なものとされていました。だいたい職人は口が悪いですから、勝手にご祝儀なんか渡すと「あの野郎いい気になって祝儀なんか出して」となりますから。その時には「これはご祝儀ではありませんよ。糸代ですよ」と言って渡したもんです。
 私のじぶんには、「はんてん」を戴けるお店が30件ほどありました。1年に2枚くらい一つのお店から戴いてましたから、結構たまってしまいます。そうすると岩木町に「はんてん」の古着を専門に扱っているお店があったので、そこに売りに行きました。「はんてん」は丈夫なものですから、農家なんかの仕事着にもってこいなんで人気がありました。
 売る時には、背中の紋と襟地の字を替えたりとか気も使いました。やはりお店から戴いたものをそのまま売るのは気が引けます。もっとも、中には普通ではちょっと分からないところに番号を付けてある「はんてん」もありました。そんなものを知らずに売ってしまうと「鴨下が売った」って分かっちゃう(笑い)。
 この「はんてん」が戦後には随分お米に替わりました。私はまだ戦地にいたのですが、残った家族が農家に買い出しに行ってお米を譲ってもらう時に、お金だけでは駄目で「はんてん」を一枚付けないと売って貰えなかったそうです。

(つづく)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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