「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年3月1日 号(№86)

2012年3月1日 号(№86) 画像の説明

2012年 弥生やよい 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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石灰なるほどゼミナール

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栃木県佐野市に、美術館とコレクションを寄贈した吉澤石灰㈱の4代目吉澤慎太郎社長(中央)に、小堀鞆音展の感想と石灰の話を聞きました。>>つづきを読む

社団法人全国防水工事業協会20周年式典

記念講演・安部晋三元内閣総理大臣-2

昭和49年全国防水工事業団体連合会発足
平成3年社団法人全国防水工事業協会設立
そして平成23年 20周年>>写真をみる

フェルメールも画いた「モーセ発見」?

フェルメール①-2

「聖書と防水三部作」絵画。フェルメールの場合。
モーセ発見
1670年アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵。
現存するフェルメール作品は37点。そのうち宗教画は「マリアとマルタの家のキリスト」、「聖女プラクセデス」の初期の2点、そして1674年の「信仰の寓意」合計3点のみである。もちろんこんなタイトルの画はない。>>つづきを読む

絵日記

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近代化産業遺産「豊川油田」

平成11年11月30日、秋田の豊川油田は経済産業大臣より「近代化産業遺産」に認定された。申請者はNPO[豊川をヨイショする会]の理事長佐々木榮一さんだ。佐々木さんについてはルーフネット80号(2012年1月16日号)をご覧ください。

佐々木さん達のNPOが各ビューポイントに解説の看板を立てている
佐々木さん達のNPOが各ビューポイントに解説の看板を立てている。

668年天智天皇即位の年に越の国から燃える土(天然アスファルト)と燃える水(石油)が献上されたという。
日本書紀の記載にされた「献上地はどこか」という明治から続いた論争は、現在新潟の黒川村(現材の胎内市)である、ということで一応の決着を見ている。確かにその当時燃える土と燃える水は黒川村で産出したのだろうが、現在では当時の面影はない。現在でもアスファルト(燃える土)の層が露頭し、燃える水が地面からしみだしてくるのを見ることができるのは、秋田県豊川村(現潟上市)真形尻、鳥巻沢地区などである。
この地の産業史上の価値と地質学上の価値に注目し、豊川油田を近代産業遺産としての認定を勝ち取り、NPO「豊川をヨイショする会」を設立して、産業遺産の施設やアスファルトの露頭地の保存活動を進めているのが佐々木榮一さんだ。

①佐々木さん

佐々木さんはこの認定取得までの経緯と天然アスファルト利用の産業史を2009年に業界の会報誌「天然ガス」に執筆している。その関連部分を今回86号から4回にわたって紹介する。

近代化産業遺産「豊川油田」

<経済産業省による近代化産業遺産の「認定」を受けて>
―その1:天然アスファルトの利用の産業史―

佐々木 榮一
エスケイエンジニアリング(株)地質部長
NPO「豊川をヨイショする会」理事長

2.近代化産業遺産の申請から認定まで

筆者は平成19年5月上旬、経済産業省のHP(ホームページ)で近代化産業遺産の認定に係る公募をしている事を知った。そこで「豊川油田」の特異な産業の歴史とその産業遺産的な価値が全国的レベルに見てどのように評価されるのかを知る事と、少しでも豊川油田の名を国内に知らしめたい目的で申請に向けて準備をした。時間的に殆んど余裕が無かったので、これまでに出版した資料や平成18年に開催した「豊川油田の歴史と産業・文化遺産」展の資料を基にして、申請文章にその近代化産業遺産の価値を記入し、締切日に近い5月21日に申請をした。

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申請から2ヶ月が過ぎた7月下旬に「豊川油田」を含む幾つかの石油産業遺産が認定の候補として取り上げられている事を知った。この頃の経済産業省のHPには7月末として「ストーリー11:わが国の近代石油産業を確立した新潟の石油産業と多様な関連産業遺産群」とタイトルされて、5ヵ所の構成遺産及びストーリー内容の解説文が掲載された。しかし、その文は簡略されたもので、更なる詳細な記述が必要ではないかと感じていたところ、経済産業省のHPで「産業遺産の取りまとめストーリー案に対する意見の募集」が8月10日~8月31日間公募された。

筆者からストーリー案に対して提案した意見は

・明治中頃から後半まで石油開発及び産業の中心は新潟地域であったが、明治末から昭和初期にかけてはその石油産業(原油生産量の増大)の中心が秋田地域に移行した。
・豊川油田の特異性として原油の発見以前は江戸時代後期から天然アスファルト(土(ど)瀝青(れきせい))の産業への利用が行われ、明治10年以降は天然アスファルトの道路舗装や防水加工等の用途の拡大に伴って、本格的な採掘が行われ、特に明治30年以降は会社組織による工業的な採掘が行われた。その天然アスファルト採掘鉱山の歴史についての記述をお願いしたい。

以上二つの意見を応募した。

秋田における石油開発の始まりは明治6年頃から、手掘りや上総掘りで始められた。僅かながらの出油は確認されたものの、油田としての発見は綱式採掘機械が導入された明治35年以降であり、それは日本石油(株)による旭川油田の発見である。そして、明治末から大正初めに豊川油田、黒川油田及び八橋油田の大発見が続き、原油生産量の増大に伴って石油産業が拡大し、新潟県のその生産量規模を上回るようになり、国内の石油産業界に大きく貢献していった。

平成19年11月30日横浜市赤レンガ倉庫の会場において近代化産業遺産の認定証授与式及び近代化産業遺産保存・活用シンポジウムが行われた。そこでは33のストーリーの近代化産業遺産群が正式に発表され、575件が「認定」を受け、「認定書」と「近代化産業遺産プレート」の授与式が行われ、筆者も参加する機会を得た(図-1)。

認定書
図-1 認定証 (※図をクリックすると拡大します。)

石油産業の近代化産業遺産群のストーリー11のタイトルは『新潟など関東甲信越地域で始まった我が国近代化石油産業の歩みを物語る近代化産業遺産群』と命名され、秋田県では「豊川油田」と「院内油田」、新潟県では「金津油田」及び「尼瀬油田」、静岡県の「相良油田」がそれぞれ認定を受けた。筆者にとって今でも理解できないのはタイトルに関東甲信越地域と記述された事である。この地域名から新潟を除くと認定された油田は存在しないからである。もし、地域名を入れるのであれば、「秋田」の名を入れるのが本筋ではないかと今も思っている。

>>つづく


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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