「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2012年11月7日 号(№120)

2012年11月7日 号(№120) kagenn

2012年 霜月しもつき 平成24年、昭和87年、大正101年、明治145年

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ツタンカーメン展と防水の接点

ツタンカーメン⑦

瀝青で覆われたツタンカーメンの高祖父、そして女神とカノポス容器
エジプト考古学博物館所蔵
ツタンカーメン展 ―黄金の秘宝と少年王の真実―
話題の「ツタンカーメン展」が現在、東京・上野の森美術館で開催中。当初は今年12月9日までの開催予定だったが、好評につき来年1月20日まで会期が延長された。>>つづきを読む

少しずつ瓦がのっています

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2012.10.24の歌舞伎座。この瓦の下でひそかに雨漏り防止の役割を担っているのが、防水用屋根下ルーフィングです。
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ライト様式のテラコッタにも触れます

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神奈川県庁本庁舎一般公開・横浜市役所市長室もオープン
10月21日、国の有形文化財で、横浜3塔の「キング」として親しまれている神奈川県庁本庁舎と、村野藤吾設計による横浜市庁舎が、午前10時~午後4時まで一般公開された。>>つづきを読む

絵日記

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げんこつで叩きこまれた段取りと心がまえ。

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横浜市開港記念会館の時計塔は、「ジャックの塔」の愛称で親しまれ、高さ36メートル。このシンボル以上に銅板屋根は美しい。(写真は本文と直接関係はありません)。

※ ※ ※

今回の連載読み物は、明治生まれの銅板屋根職人・鴨下松五郎さんへの貴重なインタビュー記録の5回目。社団法人日本金属屋根協会が機関誌「施工と管理」に連載した記事の転載です。日本金属屋根協会は平成7年から4回にわたって、名高い銅錺師(どうかざりし)鴨下松五郎さんのインタビューを機関誌「施工と管理」に掲載しました。

「台八車に提灯着け、道具箱、七輪、コールタールの缶、弁当箱なんか乗せて仕事に行った(行かされた)」鴨下さんが、親父の「げんこつ」で叩き込まれた「段取りと心構え」を語ります。「野中の一本杉だって大地があるから立ってられるんだ」。現場の火の用心。戦後の、ゆすりタカリまがいの奉賀帳ではない、自発的互助システムとして機能していた、「奉賀帳」で助かった話。などなど。鴨下講談、絶好調です。

板金いま、むかし -鴨下松五郎氏に聞く- ⑤

鴨下松五郎氏。1907年(明治40年)生まれ。(故人・平成13年4月14日逝去)勲六等単光旭日章。現代の名工。日本銅センター章など受章。

貸し車屋

 私は二代目なんです。一人っ子なんで親父の後を継がざるを得ませんでした。親父は二十歳ぐらいでこの什事に入りましたが、若いじぶんはすごかったみたいですよ。今で言う暴走族みたいなもんでしょうね。日本橋の馬喰町に住んでいたんですが、喧嘩で毎週のように久松警察のお世話になっていたようです。(笑い)。

 皇居の「御(み)車寄せ」と言うんでしょうか、玄関の屋根の仕事を親父がやりに行った時などは、当時のことですから職人一人一人に監視のために役人が付いたそうです。七輪にも役人が一人付いた。結構元気な親父でしたから(笑い)何か気に入らないことでもあったんでしょうね、その七輪に付いた役人を「この野郎屋根に上げてしまおう」と思って、七輪を持って屋根に上がったら、本当に屋根まで付いてきたそうです(笑い)。

 その代わりといっちゃあなんですが、子供の躾には厳しかったですね。それこそ箸の上げ降ろしから何板金いま、むかしから……うるさかったですね。すぐ「げんこつ」です。

小学校5年の夏休みから、車を引いて仕事に出されました。それでいて何かあると「げんこつ」がすぐに飛んでくる。まあ、それで仕事を覚えたようなもんですが。

 当時板金屋が使っていた車というのは、今魚河岸で使っているような荷車です。荷台の下に車輪が付いていて、引っ張る恰好のものです。これを自分で持っている人は少なかったですね。どうするかと言いますと、貸し車屋というのがあって、今で言うレンタカーなんでしょうが、そこに借りに行くわけです。一日10銭ぐらいじゃなかったでしょうか。仕事の当日借りにいったんでは出払っていることもありますから、使う時は必ず前の日に頼みに行きました。
 こういう車に提灯を付けて、道具箱、七輪、コールタールの缶、弁当箱なんか乗せて仕事に行きました。勿論乗せていく物も前日に用意しておきます。うちの親父はこの辺もうるさくて、道具箱に入れた「はさみ」などの道具の種類と数を紙に書かされました。何を持って行ったか分るようにしていたんでしょうね。

親父の教育

 小学生のころだったと思いますが、品川に仕事(東海寺)がありまして馬喰町から車を引いて行かされたことがありました。今のようにアスファルトの道じゃないので大変でしたね。親父から10銭もらって行くんですが、京橋まで来ると屋台の焼き大福屋がありましてね。そこまで来るとお腹が減っちゃって、もらった10銭でよく買いました。その焼き大福も大きさが色々あって、初めは大きいほうがいいと思って買ったら「塩あん」なんです。(笑い)。

 それで4時ぐらいになると「もう帰んな」ということで、また10銭もらって車に空の弁当箱なんか乗せて品川から馬喰町まで引いて帰ってくる。そんな生活でしたね。

 うちの親父は現場で3時になると、散らかっている道具をいったん全部集めさせていました。その後仕事をするには、使う道具だけでそこから持っていくわけです。これはたとえ道具を忘れてもその時持っていったものだけですむ、ということです。そういう用心をしていましたね。

 それと火にもやかましかった。「3時すぎたら煙草はすっちゃいけない」とかね。七輪の炭も水をかけたくらいじゃ、ちゃんと消えない。昔の炭は今と違っていい炭でしたから、ちゃんと消さないとまた火がおきてしまう。京橋の永井さんていう人が、消したと思って七輪を持って電車に乗ったら、車内で炭がおきて車掌に怒られた(笑い)……そんな話もあるくらいですから。ですから七輪の火を消すときは、水を張ったバケツを用意しておきまして、その中に七輪を突っ込んで帰ってくる、そういう教育を親父はしていましたね。

「小僧」さんに対してもね。昔の「小僧」は「腹掛け」を着ていましたが、そこに時計を入れる小さなポケットのようなものが付いています。そこに「これは出しちゃいけないよ」と言って、1円ずつ入れて持たせてました。これは「迷子になったり、うちに帰れなくなった時に、このお金で電車で帰ってくるんだよ」ということです。

 電車に乗って仕事に行くこともあるんですが、その時も朝6時までに乗るんです。何故かというと、普通は運賃は7銭ですが6時……7時だったかも知れません……までに乗ると6銭ですむ。早朝割引きです。ですから、それまでに乗らないと損をするってわけ(笑い)。

 この電車に乗るときも6銭なら6銭をバラ銭で「小僧」に持たせるんです。当時は電車の中でお金を払ってましたが、財布からお金を出して払うなんてとんでもないという。私も電車の中で財布を出して張った倒されました(笑い)。何でかと言いますと「バラ銭で持っていれば落としてもそれだけだ」って言うんです。細かいというか、しっかりしているというか(笑い)。もっともそのじぶんは、今と違って皆ポーッとしてましたからしょっちゅう財布を落とすんですよ(笑い)。

義理と「げんこつ」

 昔の職人の世界は義理堅い世界でしたが、うちの親父は特にその傾向が強かったというか、横のつながりを大事にしてましたね。「奉賀帳」なんかも随分やってました。例えば「小田原の誰某がこういうことでちょっと寝てるから、心配してやってくれないか」って声がかかると、よく自分で歩いて回ってました。それで何十円かまとめて、その人に渡してた。親父は若いときに腰が抜けちゃったことがあるんです。脚気のひどいやつだったと聞いてますが、その時に自分に兄弟には一銭の世話にもならず「奉賀帳」で全部済ませたというんです。それが頭にあるから余計、何かあったらお返ししたいってんでやったらしいです。

 若いじぶんの親父は乱暴だったんですが、仕事のほうはしっかりしてましたから、当時の職人としては儲けたほうじゃないですか。1 日と晦日になると蔵前に今でもある「町田糸店」の隣にあった貯蔵銀行というのがありまして、そこに私をつれて必ず預金に行ってましたから。なぜ馬喰町から蔵前の銀行まで預けに行ったかというと、近所の銀行ですと回りから「職人のくせにお金を預けに行った」と言われちゃうわけ(笑い)。それが嫌だったらしい。

 余談になりますが、私が1 歳か1 歳の頃、その貯蔵銀行が危ないという話しになった。浅草の「今半」の隣にあった十五銀行が潰れたことで取付け騒ぎがおきた。「大変だ」ってんで夜中の2時に親父と二人で行きましたよ。寒い時でしたので「刺し子」を着てね。銀行のほうではお客を安心させようと窓口にお金を積み上げてました。それで夜中の2時でもお金を払ってくれました。みんな殺気立ってましたから、そうでもしないと「たった殺されちゃう」ような雰囲気でしたね。

 そういう感じで仕事に関しては見習う点が親父には多かったんですが、普段はそりゃ人権もへったくりもありませんよ(笑い)。二言目には「げんこつ」でしたから、今なら殺されちゃったんじゃないでしょうか。

 その親父も腎臓を悪くして私が19歳の時に寝込んじゃっいました。寝込んでも口だけは達者でしたが、仕事は出来ない。ですから19の時から一本立ちです。当時うちにはたくさん職人……「おさむらい」……がおりましたが、若いながらも何とか使いこなしましたね。当時の職人は結構大変な人……お酒はよく飲むし、取るものより使うものが多いんでしょ、それでいて威張ってる(笑い)……が多かった。そういう人達を使いこなせたというのは結局、普通の人より仕事が出来たということでしょうね。そのじぶんは、何かっていうと「これ(腕)だぞ」「これはどうだ」という感じで、仕事が出来なかったら言うことなんか聞いてくれない世界でしたから。

  0歳の時に親父が死んでしまった。ちょうどその時は入営しており台湾(花蓮)にいました。休暇をもらって帰ってきてお弔いを済ませたんですが、翌日すぐに戻らなければいけない。この時はうちのこととか心配で戻るのがつらかったですね。でもね。職人や回りの人がうちを守ってくれたんです。仕事が出来るとかなんとか言っても結局、自分だけじゃ駄目なんです。「俺は野中の一本杉だ」って言う人がいます

けど、それは間違いで、野中の一本杉だって大地があるから立っていられんです。組合でもなんでも同じですが、みんなが寄って初めてやっていけるんで、自分一人でやっていけると思っちゃいけません。

(つづく)


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

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我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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