「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2013年2月26日 号(№135)

2013年2月26日 号(№135) 画像の説明

2013年 如月きさらぎ 平成25年、昭和88年、大正102年、明治146年

画像の説明画像の説明

貫通部隙間の耐熱シール材充填不足で是正指示

画像の説明

防火区画貫通部に関する国土交通大臣認定の不適合施工
国交省が都などに是正指導
国土交通省は2月8日、東京都内のオフィスビル等4件において、東京都に本社を置く会社が施工した配管スペース内の防火区画貫通部が、国土交通大臣認定の仕様と異なる仕様で施工され、建築基準法違反であることが判明したことを発表した。
>>つづきを読む

蓄熱槽断熱防水で指針

画像の説明

「蓄熱槽断熱防水工事技術指針(案)」で2月27日(水)に講習会
日本建築学会 材料施工委員会 防水工事運営委員会は、日本建築学会で 2013年2月27日(水) 13:00~ 17:00「蓄熱槽断熱防水工事技術指針(案)」講習会を行う。>>つづきを読む

ピングラウト協議会27回総会

画像の説明

記念講演は近藤照夫ものつくり大教授
「環境に配慮した建築内外装技術」
親水性発泡ウレタン樹脂によるひび割れ注入工法の施工団体であるピングラウト協議会は2月8日、東京・霞ヶ関の東海大学交友館で第27回定時総会を開催、役員改選で柿崎会長を再選したほか、25年度事業計画を決定した。>>つづきを読む

「建築着工統計報告平成24年計」

画像の説明

住宅着工3年連続で増加
国土交通省総合政策局建設統計室が1月31日、「建築着工統計報告平成24年計」を公表した。>>つづきを読む

絵日記

新着ニュース

2013/02/22 インフラの老朽化に備え点検・診断研究テーマ公募new
2013/02/22 ニコライ堂new
2013/02/21 北海道地区の建築関係者対象に講演会new
2013/02/21 夜の箱根路new
2013/02/20 二川の写真を藤本壮介の会場構成で見るnew
2013/02/18 押切もえが、防水を語るnew
2013/02/18 私が鮟鱇を作ったら、格好が悪いからと踏み潰されました。new
2013/02/17 2013年度竹中育英会建築研究助成候補募集new
2013/02/15 貫通部隙間の耐熱シール材充填不足で是正指示
2013/02/14 平成24年度 国土と交通に関する図画コンクール
2013/02/13 蓄熱槽断熱防水で指針
2013/02/11 ピングラウト協議会27回総会
2013/02/10 法然院 山門屋根 葺替え
2013/02/10 ササ刃やマトモで、道路に並べた長モノを切る
2013/02/09 「建築着工統計報告平成24年計」
2013/02/08 鶴川絵日記 ロウバイ
2013/02/07 気軽に世田谷で軒葺き体験
2013/02/06 リニューアル技術開発協会新年情報交換会
2013/02/04 立春絵日記
2013/02/03 銅板屋根工事の生き字引、斉木益栄さんのお話が始まります
2013/01/30 KRK新年会
2013/01/29 コスミック工業会今年も余興は落語で新年会
2013/01/28 日本金属屋協会新年会
2013/01/27 全アロン防水組合新年講演会・賀詞交歓会
2013/01/27 コンクリートの白化現象
2013/01/25 社会資本の老朽化対策会議設置
2013/01/24 南禅寺を横切る水路閣のひび割れ報告書
2013/01/22 東京国立博物館所蔵ミイラの柩の黒はアスファルト?
2013/01/21 「日本の民家一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点」展
2013/01/20 大阪城天守閣の銅瓦
2013/01/19 含水率測定技術日本一
2013/01/19 天徳内裏歌合(防水マンのための百人一首講座)
2013/01/19 1000日前 ROOF-NET ホームページ OPEN ! でした。
2013/01/18 水路閣のつらら2013年
2013/01/17 絵日記 日吉大社のベーレンアウスレーゼ柿
2013/01/16 200万人が見た「防水・アスファルト」の文字
2013/01/14 建築電磁環境に関する建築学会の研究発表会2013
2013/01/13 かるたびらき
2013/01/12 防水と人気アニメ「ちはやふる」
2013/01/12 絵日記 F.ヴァッサーの家
2013/01/07 平成25年 巳年絵馬
2013/01/09 世田谷民家園で1月27日(日曜)茅葺き体験
2013/01/08 国宝 鳥獣戯画と防水
2013/01/06 平成25年近江神宮かるた名人・クイーン戦
2013/01/02 正倉院の屋根補修でも用られた銅板 その2
2013/01/01 2013年初詣 大宮八幡宮
2013/01/01 2013年1月1日 平成25年元旦
2012/12/31 金木犀
2012/12/29 ルーフネット2012年の主な掲載記事
2012/12/29 2011-2016年度市場 年成長率13.3%を予測
2012/12/28 コンクリート表層の品質と耐久性
2012/12/25 屋根に穴をあけない太陽光発電設置架台
2012/12/26 ひび割れ、雨漏りトラブル 相変わらずトップ
2012/12/24 GZのクリスマスとRNのクリスマス
2012/12/21 絵日記 歌舞伎座
2012/12/20 有効細孔量を指標にコンクリートの性質を探る。

 :
以前の更新情報はこちらをクリック!

私が鮟鱇を作ったら、格好が悪いからと踏み潰されました。

え?アンコウを作る!踏みつぶす?
銅板屋根とともに(上) 連載3回目

日銀大阪支店 鮟鱇あんこう
日本銀行大阪支店の雨樋。 

アンコウを踏みつぶしたら随分気持ち悪かろう、と思うのだが、135号の読み物はそんなはなしから始まります。斉木さんが入社早々に作ったアンコウを、「こんなもの売り物になるか」と言って社長が踏みつぶしてしまいます。

本物のアンコウなら、ちょっと大変なことになってしまいますが、このアンコウは銅板で作ったアンコウです。といってもアンコウの形をしているわけではありません
軒樋の雨水を竪樋に導くための連結部分を呼び樋(よびどい)、通称・鮟鱇(あんこう)と呼びます。軒樋からの水を受けるために大きな口を開けています。その形から「あんこう」と言うそうです。

築地本願寺の樋
築地本願寺の鮟鱇。

茅葺き・コケラ葺き・瓦葺きの大規模建築物に樋を付ける場合、そのデザイン処理は大変難しい。ほとんどが文字通り「とってつけた」様に美しい屋根となじまないものです。一方近代建築の銅板屋根と雨樋は同じ材料だけに良く馴染み、デザイナーが遊べる部位でもあります。

銅板屋根とともに(上) その③

乱高下が激しかった銅価

築地本願寺

小野として銅の仕事をよくやるようになったのは、昭和40 年前後からです。「うちの社長には銅板の技術があるのだから、それを仕事にしようじゃないか」という考えで、会社の方針を銅のほうへ持っていったようです。留吉社長は築地本願寺のドームの銅屋根など、銅板工事の経験も当時としては多いほうでしたし、我々社員にも色々な技術を見せてくれました。私が銅板の鮟鱇を作ったら、あまりに格好が悪いと踏み潰されました。「こんなもの売り物になるか」… そういう人でしたね。

桃華楽堂

会社の方針を変えたこともあって銅の仕事は増えてきたのですが、実際にはなかなか手が出せませんでした。当時の銅は値段が安定していないので、資金繰りが立たないというのが大きな理由です。例えば、皇居にある桃華楽堂の契約時の銅の値段が33 万円/ トン。それが8 ヶ月後の着工時には97 万円/ トンですから。この時は、宮内庁のほうで先に手当てするようにと言われ、先に材料代を頂きました。値段の変動を考えると誰でもできるという時代ではありませんでした。

銅板保険

ちょっと余談になりますが、昭和39 年から40 年ごろにかけては銅が非常に値上がりした時期で、うちは銅屋根をよく剥がされました。屋根を張って翌日行くと無いんですよ(笑)。当時は銅板保険というものを… うちで銅板保険と呼んでいただけで正式な名称は他にあったと思いますが… 掛けていたのですが、その条件として現場に誰かが泊り込むことになっていました。ところが、たまたま職人さんが給料日で帰宅した日に盗まれたこともありました。

大阪でやはり1 日に張った分を全部剥がされたので夜中じゅう電気をつけておいたら、ご近所から苦情がきたり…(笑)。京都ではセメント袋に入れておいた銅屑を盗まれたこともあるのですが、この時は銅屑だったので面倒だから警察にも届けなかった。ところが2 年後ぐらいに警察に呼び出されて「盗まれたものを届けないのはいけない」とお叱りを受けたこともありました。つかまった泥棒がご丁寧に白状しちゃったらしい(笑)… いろいろとありましたね。

相談相手は留吉社長

この頃から私は銅板の勉強を始めたのですが、行き詰まることが多々ありました。そんな時に留吉社長に相談すると「それはお前考えすぎだよ。こうすりゃいいじゃないか」… それでいとも簡単に問題が解けるわけですよ。留吉社長はこういう面でも素晴らしかったですね。

皇居の桃華楽堂の屋根工事では、初めて設計の先生に逆らいました(笑)。当時、皇居の石垣の上には我々は登れなかったのですが、先生は上がることができました。上から見て我々 がやった“はぜの向き”に対して[それじゃダメ」と言われました。その先生に「私の言う通りにしてほしい」と抵抗したわけです。

「じょうろで水を撤きますから見てて下さい。先生のおっしゃる通りはぜを作ると全部水が入ります」と申上げて、実際に水を撒いたら私が言うとおりに水が流れたものだから先生も納得して、それに逆らわないはぜを採用してもらいました。今考えると、結構無謀でしたね。しかし、これをきっかけに色々な設計の先生とお付き合いさせていただくようになりました。

はぜの“太さ”と“捨て板”

鶴見総持寺

昭和39 年に手がけた鶴見(横浜市)の総持寺の屋根は、面積が7200 ㎡もありました。私の前の技術部長だった永塚さんが「これだけ大きな屋根を葺くには、普通のはぜじゃだめだ。もっと大きくしなきゃ」というので、従来のはぜよりも太くしました。それまでのはぜは3 分程度、9mm ~10mm ぐらいでした。我々は大型の銅屋根を手掛けるようになって「これじゃいかん」と感じるようになりました。社寺の銅屋根は一見すると昔と同じような仕事と見られがちですが、実際は様々な改良が加えられています。

成田山新勝寺

この意味で会社としても個人的にも意義深い仕事といえるのが、昭和42 年の成田山新勝寺の銅屋根です。これは、面積が7500 ㎡で総持寺よりも大きな屋根です。それまでに私の頭の中に、銅板で大きな屋根を葺くと故障が起きやすい、原因は銅板の伸縮じゃないか、という考えが常にありました。

成田山のご本尊の屋根工事では材料が支給材でしたので、研究にもふんだんに材料を使うことができました。この結果として開発したのが銅板の伸縮を吸収する“捨て板”です。この方法は、(社)日本銅センターの『銅板屋根構法マニュアル』 で公開したときに「あれ小野さんの特許じゃないの」と言われたぐらいです。この“捨て板”を初めて使った成田山は既に30 年以上経過していますが、問題は全く出ていません。

今では“捨て板”は銅板工事の中で定着していますが、当時は材料が高かったこともあり営業サイドからは「材料を食うからダメ」といった反発がありましたね。確かにl㎡当たり0.6 枚ぐらい余計に材料が必要ですから、3000㎡、4000㎡といった規模に成田山新勝寺なると馬鹿になりませんから。

(次号に続く)

日本金属屋根協会機関誌「施工と管理」より転載

(つづく)

2013/02/18(月) 00:44:24|屋根|


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

画像の説明

我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

  • 主な収録項目

特集ページ


powered by Quick Homepage Maker 4.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional