「今の防水業界がこれでいいのか」「いい仕事をすること、社会的貢献をすることと、防水工事で利益をあげることは両立すべきだ」と考えるあなたに!

2014年4月22日 号(№192)

2014年4月22日 号(№192) kagenn

2013年 卯月うづき 平成25年、昭和88年、大正102年、明治146年

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輿石教授が中国浙江工業大学で講演

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テーマは「伝統的な小舞土壁の建築材料学的評価」
早稲田大学理工学術院、輿石直幸教授は3月24日、中国浙江工業大学 建築工程学院で、同大学学生・教員110名を対象に、「伝統的な小舞土壁の建築材料学的評価」のタイトルで講演した。>>つづきを読む

国宝名古屋城の金のシャチ

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昭和20年の名古屋空襲で、本丸の大部分と本丸御殿は焼失した。再建されたのは昭和34年(1959年)。創建当時の鯱には慶長大判1940枚(現在の金額では10億円とも20億ともいわれる)が使用され、徳川の権力・財力を誇示したものだ。>>つづきを読む

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防水関係者にとって「近江神宮燃水祭」とは何か?

人類と防水の歴史  聖書や日本書紀と近代防水を繋ぐもの

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現代の工法につながる近代防水の歴史は約百年といわれています。
明治38年(1905年)、大阪瓦斯本社ビルのベランダ部分に、アスファルトルーフィングをアスファルトで積層するメンブレン防水工法が採用されました。従来のアスファルトミックスによる防水に代わって、ここで現代の防水につながる積層工法が初めて採用されたことをもって東京工業大学小池迪夫名誉教授は、「近代防水の誕生」としました。

明確な記録でたどれる建築防水の出発点が、大阪瓦斯本社の立派なビルであったものの、その施工部位は木下地のベランダの上のわずかな面積でした。しかし土木の分野では、同じころ、巨大な国家プロジェクトにおいて重要な役割をはたしています。それが明治41年の淀橋浄水場の防水工事です。ここで使用されたのが秋田で採掘された天然アスファルトです。その露天掘りの採掘現場写真には「穴原商会」のはっぴを着た人たちが映っています。

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アスファルトの歴史に関する古典的資料、村岡坦著「アスファルト」に掲載されている東京市水道沈殿池のアスファルト塗布の写真。

日本の近代化とともに登場したアスファルト防水。近代防水の歴史としては100年ですが、ルーフネットで度々紹介しているように、「防水材としてのアスファルトの歴史」は紀元前3000年までさかのぼります。これは聖書の世界だけでなく、日本国内でも、縄文時代の土器の接着補修やコーティング、籃胎(らんたい)への使用などが見られます。
世界史の中で防水に関する記述は聖書や世界最古の叙事詩・古代アッシリアの「ギルガメッシュ叙事詩」や旧約聖書に見られます。

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リルケが「人に衝撃を与える最高傑作」であると絶賛したギルガメッシュ叙事詩を刻んだ粘土板。

私は3シャル(1シャルは3,600ℓ)の瀝青を溶炉に注ぎ、3シャルのアスファルトで方舟を張り巡らした。

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G.ドレによる有名なノアの方舟。

それがノアの方舟、バベルの塔、乳呑児のモーセを入れた籠です。ここにアスファルトが防水という明確な目的のもとに使用されたことが書かれています。

聖書に書かれたこれらの話が、歴史的事実であるかどうか、という点に関しては別の記事に譲りますが、バベルの塔に関しては、神殿の遺構からアスファルトの付着した日干し煉瓦が発掘されています。

バベル
ブリューゲル「バベルの塔」1563 ウィーン美術史美術館

世界史の中で防水に関する記述はこのようにわかりやすい形で散見されるのですが、残念ながら日本では、絵本にできるほどのものはありません。しかしながらこれ以上はないというほどの権威ある書物に載っています。それが日本国の正史「日本書紀」です。わずか1行ですが「668年天智天皇即位の年に越後から燃える水と燃える土が献上された」という記述です。
かつて日本でも新潟や秋田では天然アスファルトが露頭し、石油が池になり、川を黒く染めていたのです。越の国の人々が天智天皇即位の年にそれを堀、また汲んで、不思議なモノ、珍しいモノとして献上したわけです。日本書紀にはこう書かれています。

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日本書紀(元治甲子補刻板:日本石油百年史より)6行目2つ目の「又」の後に「越の国より、燃える土と燃える水とをたてまつる」とある。日本書紀は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本における伝存する最古の正史で、舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。全三十巻。

小堀拡大

日本書紀の「燃土燃水献上」シーンを我が国歴史画の父・小堀鞆音が大正3年に制作した「燃土燃水献上図」(国宝:鳥獣戯画のシーンを参考にしている)

小堀鞆音の絵において、前で担(かつ)いでいる甕(かめ)にはいっているのが「燃える水=石油」。後ろの唐櫃(からびつ)の中は「燃える土」。 毎年「燃水祭」は盛大に執り行われている。石油業界では昭和53年より多くの人たちが参列しています。新潟県黒川から運んだ燃える水を奉献し、日本書紀の該当部分を奉唱します。石油業界にとって天智天皇は「石油の祖神」であり、「燃水祭」は業界人として「石油の祖神」に感謝の祈りを捧げ、業界の繁栄を祈願する重要な行事となっているのです。(燃水祭世話人・芝野桂太郎氏(滋賀県石油組合理事長)談)

この時代、天然瀝青は接着材、防腐剤、防水材として使われていました。石油業界にとって天智天皇が石油の祖神であるなら、防水業界にとって(道路業界にとってもそうなのだが)燃える土を献上する天智天皇は「防水の祖神」であります。

天智天皇に奉られたのは「燃える水」だけではなく、「燃える土と燃える水」です。しかも日本書紀には「燃える土」の方が「燃える水」より先に書かれている。
近江神宮で行われる「(燃土)燃水祭」は「防水の祖神」に感謝の祈りを捧げ、業界の繁栄を祈願する重要な行事となるべきものではないでしょうか。これが表記テーマの答えです。

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燃土燃水献上図 小堀鞆音(ともと)文久4(1864)年2月19日~昭和6(1931)年10月1日

明治歴史画家小堀鞆音(ともと)は、日本石油から同社創立30周年事業の一環として依頼され、これをモチーフとした画を残しています。ただし実際は、その3年前、大正3年東京大正博覧会に間に合うよう完成させたようです。
石油業界は日本書紀の記述を自らの業界の起源とし、日本石油は創立30周年記念にこの画を小堀鞆音画伯に依頼し、大協石油(現コスモ石油)はやはり創立30周年記念として前田青邨に同じテーマの画を依頼しました(紹介すみ)。
「燃土燃水献上図」は古代から接着、防水などに使用されていた燃土=瀝青=天然アスファルトを出発点とする日本の防水業界にとっても、業界の起源と考えられます。しかし燃水=石油は、アスファルトのみならず塗膜・シート防水材の原材料であることから、むしろ「燃える水」を防水の起源として良いのでは…と考える防水関係者もいます。
いずれにしても「燃える土・燃える水献上」と言う日本書紀の記載が、防水業界にとって、貴重な初見であることに間違いないわけです。
そしてそれを描いた画家が、有職故実に基づく正確な歴史考証による歴史画を得意とした帝室技芸員にして日本の歴史画の父・小堀鞆音であったことは極めて幸運であったと言えます。
2014/04/08(火) 22:17:05|ARCHIVES|


「BOUSUIデジタルアーカイブ」防水歴史図書館

我が国の防水の歴史を考察する上でどうしても欠かすことのできない文献が何冊かあります。
防水歴史図書館(BOUSUIデジタルアーカイブ)では、そんな文献を1冊ずつ選び、本が書かれた当時の様子、おもな内容、その本のどこが「すごい」のか、現在生きる人たちにとって、どんな価値があるのか、それぞれの資料を担当するキュレーターが、時には執筆関係者への取材を交えて、分かりやすく解説します。

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